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千葉地方裁判所 昭和62年(ワ)419号 判決 1993年3月15日

原告(甲事件)

亡大須賀昭男訴訟承継人

大須賀シヅ子

大須賀里江

大須賀美香

大須賀健吾

右大須賀健吾法定代理人親権者母

大須賀シヅ子

右四名訴訟代理人弁護士

清井礼司

一瀬敬一郎

大口昭彦

原告(甲事件)

大畑勤

髙柴康

右両名訴訟代理人弁護士

葉山岳夫

菅野泰

清井礼司

内藤隆

竹之内明

大口昭彦

一瀬敬一郎

原告(乙事件)

加納昭

岩井曻一

西本泰通

鶴岡直芳

笹生亘

右五名訴訟代理人弁護士

葉山岳夫

菅野泰

清井礼司

内藤隆

山崎恵

竹之内明

大口昭彦

一瀬敬一郎

被告(甲、乙両事件)

日本国有鉄道清算事業団

右代表者理事長

石月昭二

右訴訟代理人弁護士(甲、乙両事件について)

秋山昭八

平井二郎

同(乙事件についてのみ)

西迪雄

右訴訟復代理人弁護士(乙事件についてのみ)

富田美栄子

右代理人(甲、乙両事件について)

室伏仁

杉山信利

神原敬治

中野順夫

主文

一  原告加納昭、同岩井曻一、同西本泰通、同鶴岡直芳及び同笹生亘と被告との間に雇用契約が存在することを確認する。

二  被告は、昭和六一年四月一日から平成四年三月一六日まで、一か月当たり、原告加納昭に対し二八万五八一二円の、同岩井曻一に対し二一万六二二四円の、同西本泰通に対し二三万八八〇〇円の、同鶴岡直芳に対し二九万九八〇〇円の、及び、同笹生亘に対し三〇万五四六四円の各支払をせよ。

三  原告加納昭、同岩井曻一、同西本泰通、同鶴岡直芳及び同笹生亘のその余の各請求中、平成四年三月一七日から毎月二〇日に別紙1の「原告名」欄の右原告らの「基準内賃金(円)」欄の当該各項に掲げる金員の支払を求める部分の各訴えをいずれも却下し、その余の各部分をいずれも棄却する。

四  原告大須賀シヅ子、同大須賀里江、同大須賀美香、同大須賀健吾、同大畑勤及び同髙柴康の各請求をいずれも棄却する。

五  訴訟費用中、原告加納昭、同岩井曻一、同西本泰通、同鶴岡直芳及び同笹生亘と被告との間に生じたものは、これを一〇分してその一を右原告らの各負担とし、その余を被告の負担とし、原告大須賀シヅ子、同大須賀里江、同大須賀美香及び同大須賀健吾と被告との間に生じたものは、右原告らの各負担とし、原告大畑勤及び同髙柴康と被告との間に生じたものは、右原告両名の各負担とする。

六  この判決は、第二項の各金員の三分の一に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告大須賀シヅ子、同大須賀里江、同大須賀美香及び同大須賀健吾

(一) 被告は、原告大須賀シヅ子に対し、二〇八八万七一八九円の、同大須賀里江、同大須賀美香及び同大須賀健吾に対しそれぞれ六九六万二三九六円の各支払をせよ。

(二) 仮執行の宣言

2  その余の原告ら

(一) 原告大畑勤、同髙柴康、同加納昭、同岩井曻一、同西本泰通、同鶴岡直芳及び同笹生亘が被告に対しそれぞれ雇用契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

(二) 被告は、昭和六一年三月から、毎月二〇日に、原告大畑勤に対し二六万七五〇〇円の、同髙柴康に対し二七万五〇〇〇円の、同加納昭に対し二八万五八一二円の、同岩井曻一に対し二一万六二二四円の、同西本泰通に対し二三万八八〇〇円の、同鶴岡直芳に対し二九万九八〇〇円の、及び、同笹生亘に対し三〇万五四六四円の各支払をせよ。

(三) (二)について仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  亡大須賀昭男(以下「昭男」という。)並びに原告大畑勤(以下「原告大畑」という。)、同髙柴康(以下「同髙柴」という。)、同加納昭(以下「同加納」という。)、同岩井曻一(以下「同岩井」という。)、同西本泰通(以下「同西本」という。)、同鶴岡直芳(以下「同鶴岡」という。)及び同笹生亘(以下「同笹生」という。なお、以下、昭男及び右原告らを、便宜「原告ら」ということがある。)は、それぞれ、別紙1の「原告名」欄の原告らの「就職年月日」欄の当該各項に掲げる年月日に日本国有鉄道(以下「国鉄」という。)に雇用され、その千葉鉄道管理局(以下「千葉局」という。)の別紙1の「原告名」欄の原告らの「職種」欄の当該各項に掲げる職種で「所属」欄の当該各項に掲げる職場に勤務する職員であって、号俸並びに昭和六一年三月当時及びそれ以降に受領すべき基準内賃金は、別紙1の「原告名」欄の原告らの「号俸」欄の当該各項に掲げる号俸及び「基準内賃金(円)」欄の当該各項に掲げる金額のとおりであり、国鉄及び被告の賃金の支払日は、毎月二〇日である。

2  被告は昭和六二年四月一日にいわゆる国鉄改革により国鉄から移行した法人であるが、国鉄ないし被告は、国鉄が原告らを解雇したと主張し、原告らが国鉄ないし被告に対して雇用契約上の権利を有する地位にあることを争い、昭和六一年三月以降原告らに対して賃金を支払わない。

3(一)  被告が同月から平成三年一月一四日までの間に昭男に対して支払うべき各年度の基準内賃金・住宅手当・各期手当は、別表のとおりであって、その合計額は、二六六四万五七三八円である。

(二)  昭男は、同日死亡し、被告を死亡退職した。

(三)  被告がその退職手当支給基準規定により昭男に対して支払うべき退職金は、一五一二万八六四〇円である。

(四)  原告大須賀シヅ子は昭男の妻として、原告大須賀里江、同大須賀美香及び同大須賀健吾は昭男の子供として、法定相続分に従ってそれぞれ昭男の権利・義務を相続した。

よって、被告に対し、

① 原告らのうち昭男を除くその余の原告らは、それぞれ雇用契約上の権利を有する地位にあることの確認と、昭和六一年三月から毎月二〇日に、原告大畑が二六万七五〇〇円の、同髙柴が二七万五〇〇〇円の、同加納が二八万五八一二円の、同岩井が二一万六二二四円の、同西本が二三万八八〇〇円の、同鶴岡が二九万九八〇〇円の、及び、同笹生が三〇万五四六四円の各未払賃金及び将来の賃金の支払を求め、

② 昭男の未払賃金及び退職金の相続分として、原告大須賀シヅ子が二〇八八万七一八九円の、同大須賀里江、同大須賀美香及び同大須賀健吾がそれぞれ六九六万二三九六円の各支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1のうち、原告らがいずれも昭和六一年三月二三日まで国鉄に雇用され、その主張する職種でその主張する職場に勤務する職員であったこと、原告岩井を除く原告らの同月当時の号俸が右原告らの主張する号俸であったこと、国鉄及び被告の賃金の支払日が毎月二〇日であったことは認めるが、その余の事実は否認ないし争う。

原告岩井の号俸は、八―二一であり、原告らの就職年月日は、別紙2の「原告名」欄の原告らの「就職年月日」欄の当該各項に掲げる年月日のとおりであり、昭男、原告大畑及び同髙柴の基準内賃金は、別紙2の「原告名」欄の昭男及び右原告両名の「基準内賃金(円)」欄の当該各項に掲げる金額のとおりである。

ちなみに、原告西本の名・泰通の「泰」は、「」が正しい。

2  請求の原因2のうち、国鉄が原告らに対して昭和六一年三月の賃金を支払わなかったことは否認するが、その余の事実は認める。

3(一)  請求の原因3(一)の事実は争う。

(二)  同3(二)のうち、昭男が平成三年一月一四日に死亡したことは認めるが、その余の事実は争う。

(三)  同3(三)の事実は争う。

(四)  同3(四)のうち、原告大須賀シヅ子が昭男の妻であり、原告大須賀里江、同大須賀美香及び同大須賀健吾が昭男の子供であることは認めるが、その余の事実は争う。

三  抗弁

1  公共企業体等労働関係法一八条による解雇

(一) 国鉄は、いわゆる官営事業として鉄道等の事業を営む公共企業体である。

(二) 原告らの所属する国鉄千葉動力車労働組合(以下「動労千葉」という。)は、国鉄の分割・民営化阻止等を目的として、昭和六〇年一一月二八、二九日の両日にわたり第一波闘争(以下「第一波ストライキ」という。)を、昭和六一年二月一五日に第二波闘争(以下、これを「本件争議行為」といい、そのうちの同盟罷業を「本件第二波ストライキ」という。)をともに公共企業体等労働関係法(以下「公労法」という。)一七条に違反して実施した。原告らは、本件争議行為に際し、動労千葉の支部役員としてこれに参画し、指導、実施させるとともに、一部の原告らは、自らも所定の勤務に就くことを拒否するなどして国鉄の業務の正常な運営を阻害したので、いずれも同年三月二三日付けをもって同法一八条により解雇されたものである。その詳細について述べると、次のとおりである。

(1) 国鉄再建監理委員会の国鉄改革に関する答申

国鉄は、その経営する鉄道事業が破たんにひんしたため、昭和五四年ごろからその事業の再建が国民全体の問題として検討され、国鉄労使に対し、要員の適正化や職場規律の確立等の緊急措置が要請されていた。そして、昭和五八年には国鉄再建監理委員会(以下「再建監理委員会」という。)が設立され、国鉄の事業の効率的な経営形態の確立のための方針等が検討されることとなった。再建監理委員会は、昭和六〇年七月二六日、内閣総理大臣に対し、「国鉄改革に関する意見」(以下「最終答申」という。)を提出した。右答申は、国鉄の分割民営化やそれより生ずる余剰人員を一部は旅客鉄道会社に負担させるほか早急に雇用の確保を図ること、また国鉄の長期債務を処理することを内容とするものであった。

このように、同年当時においては、国鉄の改革に係る最終答申の実現が中曽根内閣の緊急課題として提起され、そのような国家的要請に応じて、国鉄はその実現のために努力を重ねていた。

(2) 動労千葉の第一波ストライキ

動労千葉は、再建監理委員会による最終答申が提出されるや、これを「国鉄労働運動解体攻撃」であるとして反対を表明し、同年九月九日から同月一一日までの間、第一〇回定期大会を開催して、国鉄分割・民営化阻止や反動・中曽根内閣打倒、三里塚二期阻止等を闘いの目標に掲げて闘争体制を組むこととし、同年一〇月ないし一二月の第一次統一行動としてストライキを含む第一次闘争を同年一一月下旬に設定することとした。

そして、動労千葉は、同月二八日正午から翌二九日正午までの間第一波ストライキを実施し、同月二八日のストライキにより列車の運行を一部不能の状態にし、翌二九日のストライキによりこれに誘発された信号ケーブルの切断や浅草橋駅に対する放火などの多発ゲリラの発生と相まって首都圏における列車の運行を全面的に不能の状態に陥れた。列車に対する影響は首都圏全般に及んだが、千葉局管内の影響だけを見ても別紙3のとおりとなる。

第一波ストライキは、その目的、影響等から見て明らかに違法性の強いものである。すなわち、国鉄の経営形態は、国民によって定められるべきものであるところ、動労千葉は、再建についての種々の議論がなされていることを否定ないし無視し、公労法により禁じられている争議行為によりあえて自己の主張を貫徹しようとしたものである。したがって、それに対する処分も、解雇二〇名、停職二八名をはじめとする等厳しいものであったが、世論ではむしろこれを当然とし、「千葉動労の組合性」に疑問を述べるものさえあった。

(3) 本件争議行為に至る経緯

それにもかかわらず、動労千葉は、何ら反省することなく、次のような経過をたどって本件争議行為を行うに至った。

ア 動労千葉は、同年一二月一六日、「一一・二八〜二九ストライキで切り拓いた偉大な地平線を打ち固め、反弾圧・反処分、第二波闘争を皮切りに、全国鉄労働者の怒りを再結集し、『分割・民営化』阻止」等をスローガンとして定期委員会を開催し、右ストライキは津田沼・千葉運動区を先頭とする組合員全員により貫徹されたとして、その成果を宣伝するとともに、「全国鉄労働者のゼネスト決起を実現するため、反弾圧・反処分、第二波闘争を皮切りに、第二、第三の闘いに決起する方針」を決定した。また、同月二〇日、動労千葉緊急総決起集会を開催し、同様の確認をした。

イ 次いで、動労千葉は、昭和六一年一月九日、支部代表者会議を開催し、国鉄「分割・民営化」阻止、「六一・三ダイ改」阻止、「業務移管」反対等を目的とした闘争を行うこと、その戦術の細部は執行委員会に任せることを決定した。

ウ 同年一月二一日に開催された執行委員会では、今後の戦術の細部について決定するとともに、これを受けて同月二三日に開催された支部代表者会議では、処分通告のあった翌日から全組合員を対象に非協力・順法闘争を長期強じんに闘い、処分が通告された翌日から「ワッペン着用」闘争を実施するとの戦術を決定した。

エ 右確認を経て、動労千葉は、同月二四日、「各支部は不当処分粉砕、業務移管・線見阻止、検修合理化阻止、第二波闘争勝利へ向けて、ストライキを含むあらゆる戦術を行使できる万全の準備体制を確立すること」などという指令第一二号を発し、また同月二八日にもこの指令内容を付加する指令第一三号を発した。

オ また、動労千葉は、同年二月二日、千葉市内において、大量不当処分粉砕・業務移管攻撃阻止・検修合理化粉砕・「六一・三ダイ改」阻止、二・二総決起集会を開催し、その後デモ行進をして気勢を上げた。

カ さらに、動労千葉は、同月三日、執行委員会を開催し、「地上勤は、ダイ改の山場で(順法)強化する、ダイ改の山場に乗務員を含むストも辞さず闘う」などの点を決定した。

キ そして、同月六日に開催された執行委員会では、業務移管阻止・線見強行阻止等を目標に、同月一二日以降非協力・順法闘争の戦術強化、同月一四〜一五日にストライキを配置することなどが決定され、次いで同月七日に開催された支部代表者会議でこれについての確認がなされた。

ク これに基づき、動労千葉は、同月八日、「各支部は、二月一二日以降当分の間、非協力・順法闘争の戦術を強化すること。各支部は、二月一四日以降、何時いかなる時も、ストライキに突入できる準備体制を確立すること。」等の指令第一四号を発した。

ケ これらの経過を経て、動労千葉は、同月一二日に開催された執行委員会で第二波闘争の戦術として、同月一五日始発から終電まで津田沼地区、千葉地区及び成田地区を拠点とするストライキを行うことを決定し、同月一四日、指令第一五号でその旨の指示した。

ところで、動労千葉が右争議行為に当たってその予定内容等を事前に国鉄当局に対して告知することをしなかったので、国鉄としては動労千葉の機関紙や新聞等の報道、その他各種の情報を元に、その内容を予測し、混乱の防止や輸送の確保等の処置を講ずるほかなかったのであるが、同月一三日付け及び翌一四日付け新聞各紙に報道されたところによると、対象線区は総武快速・緩行、成田線が中心だが、内房線、外房線等千葉駅に乗り入れる各線でも、千葉駅着と同時に乗務員がストライキに入るとされていた。

(4) 本件争議行為の態様及び影響

ア 動労千葉は、同月一五日、津田沼地区、千葉地区及び成田地区で、始発時から午後五時三〇分までの間、本件第二波ストライキを行った。また、前記のとおり内房線、外房線等千葉駅に乗り入れる各線でも同駅着と同時に乗務員がストライキに入るとされていたので、それが実施されると、同駅における列車の収容能力は限られていることから、同駅に乗り入れる予定の列車はことごとく途中において運行不能となって、同駅を中心に乗り入れ線区とその周辺一帯の列車運行は連鎖的にまひ状態に陥り、乗客を巻き込んだ大混乱が予想された。そこで国鉄は、予想される重大な事態を防止するため、動労千葉に所属する乗務員に対し、当日予定されている乗務行路全部について乗務するか否かの意思を確認する書面(以下「確認書」という。)の提出を求めることにしたが、銚子地区、勝浦地区及び館山地区(以下、これら三区を「外周三区」という。)で、当日乗務予定の動労千葉の組合員(以下、単に「組合員」というときは、動労千葉のそれである。)は、一斉に確認書の提出を拒絶して労務を提供しなかった。

イ 本件第二波ストライキのため、千葉局管内では特急列車のすべてが運行できなかったほか、次のとおり多数の列車の運転に影響を生じ、四〇万人(東京新聞によると、九〇万人)の足に支障があったとされている。

(運休したもの)

総武快速線 一六九本(特急六八本・快速一〇一本)

総武緩行線 一〇一本

総武本線 四八本(特急一四本・快速二本・普通三二本)

内房線 一〇五本(特急二〇本・快速一八本・普通六七本)

外房線 八〇本(特急二〇本・快速一四本・普通四六本)

成田線 一二五本(特急一四本・快速二八本・普通八三本)

鹿島線 三〇本(普通三〇本)

東金線 一二本(普通一二本)

(遅延したもの)

総武快速線 五九本(最高三九分、合計八九二分)

総武緩行線 八六本(最高一九分、合計二九三分)

総武本線 一五本(最高二七九分、合計一二四〇分)

内房線 六本(最高二五分、合計一三〇分)

外房線 一四本(最高六三分、合計二一九分)

成田線 六本(最高二四八分、合計三二四分)

東金線 三本(最高一二分、合計二三分)

木原線 一一本(最高九分、合計六〇分)

久留里線 一〇本(最高九分、合計五一分)

なお、運休したものは、回送列車七五本、貨物列車三本を含むほか、すべて旅客列車である。また、総武快速線と千葉駅以東相互直通列車については、重複して計上している。

(5) 原告らの本件争議行為に対する関与

ア 昭男、原告大畑及び同髙柴

本件第二波ストライキ当時、昭男は動労千葉成田支部(以下、単に支部名を掲げるときは、動労千葉のそれである。)書記長、原告大畑及び同髙柴は同支部副支部長であった。そして、昭男及び原告大畑は、昭和六〇年一二月一六日の定期委員会、昭和六一年一月九日、同年二月七日の支部代表者会議にそれぞれ参加するなどして右ストライキの企画に参画し、また右ストライキに関連する集会あるいはデモ行進などにおいてその進行をつかさどったり、各種行動の先頭に立つなどして、右ストライキを指導し、実施させた。また、原告高柴は、各種行動の先頭に立つなどして右ストライキを指導し、実施させた。

イ 原告加納及び同岩井

原告加納は、昭和六〇年一一月以降、同支部執行委員の地位にあり、右ストライキの拠点支部の一つとなった同支部の中にあって指導的立場にある者であったし、右ストライキ当日の午前九時から午後四時一七分までの出勤予備者であったため、午前九時前、当直助役から「当局の指示する全行程を乗務する意思があるか。」と質問されたことに対し、逆に、行程を示すように要求し、同助役がこれを示さないことを口実として乗務意思の有無を示さず、所定の勤務への就労を拒否した。

原告岩井は、昭和六一年二月九日以降、同支部青年部長の地位にあり、同支部の青年部組合員の組合活動を推進する立場にあった。原告岩井は、同月一四日午後六時一九分ごろ、成田運転支区庁舎前において開催された動労千葉成田支部組合員による集会においてあいさつをし、青年部は最後まで闘うなどとその決意を述べ、また「業務移管を粉砕するぞ。ストライキで粉砕するぞ。青年隊は闘うぞ。」などとシュプレヒコールの音頭を取るなどした。さらに、原告岩井は、右ストライキ当日午後二日一九分ごろから行われた青年部組合員のデモ行進を指揮した上、乗務員室玄関前に整列した組合員に対し、「青年隊はこの闘争を大勝利にするため最先頭で闘っていきたいと思います。」などとその決意を述べ、前同様シュプレヒコールの音頭を取るなどした。

ウ 原告西本、同鶴岡及び同笹生

右ストライキ当時、原告西本は銚子支部長、原告鶴岡は勝浦支部長、原告笹生は館山支部長であったが、いずれも昭和六〇年一二月一六日の定期委員会、昭和六一年一月九日、同年二月七日等の支部代表者会議に参加するなどして右ストライキに参画し、また、同支部組合員に対し乗務意思確認の確認書への署名・押印を拒否するよう指導するなどして本件争議行為を推進した。

原告西本の右確認書への署名・押印拒否の指導について述べると、次のとおりである。本件争議行為当日の午前四時一〇分ごろ、銚子運転区助役滑川某(以下「滑川」という。)が組合員の境泰明(以下「境」という。)に対して仕業点呼をしようとすると、原告西本は、制止を聞かずに点呼場である当直室に立ち入り、他の組合員も同室の入口付近に立ち、退去要求にも応じないという状況であり、滑川が境に対して点呼をしたところ、境は、単に今から乗務するというのみで、当日の全行程に就労するとの意思を示さなかった。そこで、同運転区長高橋某(以下「高橋」という。)は、境に対し、当日勤務を「否認」する旨通告した(「否認」とは、国鉄の勤務認証の一種で、割り振られた労働時間の一部を欠勤する場合をいう。)。しかも、境は、制止を無視して勝手にブレーキハンドルを持って出て行った。

(6) 原告らの解雇

ア 国鉄の労働関係については、公労法が適用されているから、争議行為は禁止されている。また、前に述べたように、国鉄再建問題が国民的課題とされていた時点において、第一波ストライキが行われ、それに対する厳しい批判を受けながら、それを殊更に無視してあえて第二波闘争として本件争議行為が計画された。

この無謀な計画に対して、国鉄は総裁名で、動労千葉に対し、これを中止するように申し入れるとともに、違法行為については厳しくその責任を追及されることになると警告し、また、千葉局長名の文書で、同組合に対し、「公共企業体における争議行為は一切禁止されており、争議行為に対する世間の批判は厳しく国民・利用者の協力を得るよう努力しなければならない時期であり、国民から国鉄労使のあり方が注目されている現状である。このようなとき、国民・利用者の迷惑をかえりみず、伝えられるような違法な争議行為をすることは、国鉄労使への非難がたかまることは必定であり、到底ゆるされるものではない」として、争議行為の中止を申し入れるとともに、違法行為に対しては厳重に措置せざるを得ない旨警告した。

また、その所属組合員の各人に対しても、同局長名の文書を送り、国鉄問題が国政の最重要課題と位置づけられ長期債務の処理や余剰人員の受け入れ等、経営改革のための諸施設も着実に前進し、千葉県等も公的部門への採用について門戸を開き受け入れようとしている、この時期に違法なストライキをしようとするのは暴挙であり、責任ある行動とはいえない。それぞれ自らの決断と責任において慎重かつ勇気ある行動を取るように切望していた。

それにもかかわらず、本件争議行為があえて実行され、国民・利用者に迷惑を掛けるに至った。したがって、当然のことながら国民や世論の批判は厳しく、これをもって「またまた暴挙 千葉動労」と評され、乗客は怒りとあきらめを抱いたとされ、また動労千葉の「孤立スト」がいつまで続くかと慨嘆し、それは組合活動の枠を逸脱するものであると評された。

したがって、本件争議行為の責任は厳しく問われてしかるべきものである。

イ 原告らの前記行為は公労法一七条一項に該当するので、国鉄は、原告らをいずれも同法一八条により昭和六一年三月二三日付けをもって解雇した(以下、これを「本件解雇」という。)。

2  昭和六一年三月分の賃金の支払―賃金支払請求に対し

国鉄は、昭和六一年三月二〇日、原告らに対し、同月分の賃金全額を支払った。

四  抗弁に対する認否

1(一)  抗弁1(二)冒頭の事実及び主張のうち、原告らが動労千葉に所属する組合員であること、動労千葉が国鉄分割・民営化及びこれに伴う諸施策に反対していたこと、第一波闘争及び第二波闘争として各争議行為を実施したこと、国鉄が原告らに対して本件解雇の通知をしてきたことは認めるが、その余は争う。

(二)  同1(二)(1)のうち、再建監理委員会が被告主張の日に最終答申を提出したこと、右答申で国鉄分割・民営化案が示されたことは認めるが、その余は争う。

(三)  同1(二)(2)のうち、動労千葉が国鉄分割・民営化及びこれに伴う諸施策に反対していたこと、昭和六〇年一一月二八日から翌二九日正午にかけて第一波ストライキを実施したこと、同日にいわゆる同時多発ゲリラが起きたことは認めるが、違法なストライキを実施したこと、ゲリラ活動を誘発させたことは否認し、同月二八日に列車の運行が一部不能の状態になったこと、翌二九日に首都圏等において列車運行が不能の状態に陥ったことは不知、その余は争う。

(四)(1)  同1(二)(3)アのうち、動労千葉が同年一二月一六日に定期委員会を開催したこと、右ストライキが津田沼・千葉運転区を先頭とする組合員全員により貫徹されたとして、その成果を宣伝するとともに、「全国鉄労働者の怒りを総結集し、ゼネスト決起を実現するため、反弾圧・反処分、第二波闘争を皮切りに、第二、第三の闘いに決起する方針」を決定したこと、また、同月二〇日、動労千葉緊急総決起集会を開催し、同様の確認をしたことは認める。

(2) 同1(二)(3)イ及びウのうち、それぞれ支部代表者会議で「決定」したことは否認するが、その余の各事実は認める。支部代表者会議はそれぞれ「確認」したのである。

(3) 同1(二)(3)エないしクの各事実は認める。

(4) 同1(二)(3)ケのうち、動労千葉が本件第二波ストライキに当たってその予定内容等を事前に国鉄当局に告知することなく、国鉄としては動労千葉の機関紙や新聞等の報道、その他各種の情報を元に、その内容を予測し、混乱の防止や輸送の確保等の処置を講ずるほかなかったことは争うが、その余の事実は認める。

動労千葉指令第一五号は本件第二波ストライキに関して動労千葉が発した最終指令であるが、それによっても、ストライキ拠点は、津田沼、千葉運転及び成田の各支部とされており、被告が新聞報道云々といっているが如き指令は、全く発せられていない。国鉄当局の認識は、専ら新聞報道を根拠とするに過ぎず、団交再開のめどや警察当局の動向などの諸要素との関係上、スト方針は当時流動的であり、動労千葉において確定的なものとしてこれを明らかにしたことはない。したがって、国鉄当局の右認識は、推測ないし憶測の域を出るものではなく、この程度の認識に基づいてスト拠点でもない外周三区の運行計画を左右することには合理的理由がない。また、外周三区を始発駅とする列車の中には外周三区相互間(例えば館山と勝浦の間)のみの運行列車や木原線も存在するから、「千葉駅着と同時に乗務員がストに突入する」という国鉄当局の憶測をもって外周三区全体の運行を変更せんとすることはこの点でも合理性がない。さらに、同駅に乗り入れる動労千葉の動力車乗務員の中には、同駅以降の勤務予定がない者(したがって、指名ストの対象とならないことは当然)もいたのだから、その点でも国鉄当局の認識は不正確かつ不当である。

その上、国鉄当局は、確認書提出拒否行為を争議行為と解しているようだが、前記とおり外周三区は動労千葉のスト態勢から完全に除外されていたものであるから、外周三区を現場とする争議行為を論ずる余地はない。また、確認書提出拒否は、国鉄当局の提出要求によって初めて発生した事態であり、動労千葉が各組合員に対して右要求への対応を指示、指導する余地もなかったものだから、これが争議行為に該当しないことも当然である。

(五)(1)  同1(二)(4)アのうち、動労千葉が津田沼、千葉及び成田の各地区で本件第二波ストライキを実施したこと、外周三区で組合員が確認書を提出しなかったことは認めるが、右の組合員が労務を提供しなかったことは否認し、その余は争う。

国鉄の職員の労務提供の方法を直接明らかにする規定等は存しないが、千葉鉄道管理局電車乗務員執務基準規程は、点呼の方式を規定しており、これを通じて職員の労務提供の有無を確認することができ、確認書への署名、なつ印を強要する法的根拠など存在しないところ、本件第二波ストライキ当日、外周三区の組合員は、右規程に則り、出勤及び仕業の各点呼をすべて終了している。すなわち、勝浦及び館山の両運転区では、出勤及び仕業の各点呼をすべて終了し、当該組合員は列車に乗り込み発車準備まで完了し(始発列車)、銚子運転区では出勤点呼を終了、仕業点呼において当該組合員が乗務行路を確認して乗務日誌へのなつ印を求めたが、担当助役がそれに応じないため列車遅延を防ぐべく当該組合員は列車に乗り込み、発車準備を整えていた(始発列車)。

(2) 同1(二)(4)イのうち、千葉局管内で特急電車のすべての運行ができなかったことは否認し、その余の事実は不知。なお、国鉄当局が外周三区において組合員の就業を拒否したため、千葉以東において列車の一部運休が出たが、それは動労千葉の本件第二波ストライキによるものではない。

(六)(1)  同1(二)(5)アの事実及び主張のうち、本件第二波ストライキ当時昭男が成田支部書記長、原告大畑び同髙柴が同支部副支部長であったこと、昭男及び原告大畑が昭和六〇年一二月一六日の定期委員会に、原告大畑が昭和六一年一月九日の、昭男が同年二月七日の各支部代表者会議にそれぞれ出席したことは認める(もっとも、同日の支部代表者会議には昭男以外の者が出席していた可能性もある。)が、その余の事実は否認し、主張は争う。定期委員会に出席したことが「右ストライキの企画に参画」したことだとはいえないし、昭男、大畑及び同髙柴が右ストライキを「指導し、実施させる」ような行為をしたことはない。

(2) 同1(二)(5)イのうち、原告加納が右ストライキ当時同支部執行委員の地位にあったこと、右ストライキ当日の午前九時から午後四時一七分までの出勤予備者であったこと、原告岩井が昭和六一年二月九日以降同支部青年部長の地位にあったことは認めるが、その余の事実及び主張は争う。

(3) 同1(二)(5)ウのうち、右ストライキ当時、原告西本が銚子支部長、同鶴岡が勝浦支部長、原告笹生が館山支部長であったこと、原告西本、同鶴岡及び同笹生がいずれも昭和六〇年一二月一六日の定期委員会、昭和六一年一月九日、同月二三日及び同年二月七日の各支部代表者会議に出席したことは認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。

外周三区が右ストライキの拠点になっていないことは、前記のとおりである。

(七)(1)  同1(二)(6)アのうち、動労千葉が本件第二波ストライキを計画し、実施したことは認めるが、その余の事実及び主張は争う。

(2) 同1(二)(6)イのうち、国鉄が原告らに対して本件解雇を通知したことは認めるが、主張及び処分の効力は争う。

五  再抗弁

1  公労法一七条一項及び一八条の法令違憲

争議行為を一律全面的に禁止する公労法一七条及びこれを受けた同法一八条は、公務員・公社職員に対しても争議権を保障する憲法二八条に違反して無効である。

2  公労法一七条一項及び一八条の適用違憲

(一) 争議行為の制限は、合理性の認められる必要最低限であること、職務・業務の性質が公共性の強いものであって、その停廃が国民の生活全体の利益を害し、国民生活に重大な障害をもたらすものについてこれを避けるため必要やむを得ない場合においてのみであることという条件を充足して初めてなし得るものであって、本件第二波ストライキではこれらの条件を欠いている。

(二) 同法一七条一項違反を問うためには、代償措置が講じられていること、及び違反に対する効果は最小限であることが要求され、これらの条件が満たされない処分は、その限りで違憲、無効といわなければならない。ところが、「団体交渉の慣行と手続とを確立する」(同法一条一項)ことが立法趣旨とされているにもかかわらず、本件第二波ストライキの前段階において、国鉄当局が動労千葉との雇用安定協約の更新を拒否した上、一方的に業務移管とそれに伴う合理化案を通告し、団体交渉による解決に応じない点において講じられるべき代償措置が現実には全く機能していないから、原告らに対する同法一八条による解雇処分は、違憲無効である。

3  本件第二波ストライキに対する公労法一七条の適用除外

(一) 被告の強調するところによれば、国鉄の民営化は国鉄が自らその実現を意欲してそのいうところの「国策」にまでなっていたが、これを労使関係法の観点から見れば、国鉄は争議権の制限規定である公労法の適用除外を自ら積極的に求めていたことにもなるのであり、そのような争議権の制約のない「民間会社への移行過程にある国鉄」については、同法の適用基盤がもはや崩壊していたものと考えるべきであるからである。

(二) 本件第二波ストライキ当時の国鉄を巡る情勢下では、少なくとも国鉄については同法(一七条)をその法理のとおりに適用することができないものであるか、同法の適用根拠が空洞化していて、法規範性を希薄化させつつあったものであり、どんなにわい小化して考えてみても当該法規の適用の除外が予定ないし予測されるという事実がその具体的適用の消極的要素となることは明らかであろう。そして、違法な行為が適法な行為となること、しかも前記のとおり適法行為への転化を国鉄自身が意欲していた等の事情を考慮すれば、刑事訴訟法三三七条二号の免訴判決の趣旨が制裁規定である公労法一八条の適用を巡る本件第二波ストライキについても十分に参酌される余地があるというべきである。そのことは、次期協約のための争議行為と現協約による相対的平和義務の関連からも補足し得るところである。すなわち、集団的労働関係では労働協約に有効期間の定めがあるときは次期協約の内容について現協約の失効前から労使交渉により協約の中断に至らないようにするのが通常のあり方であるところ、その交渉の歩み寄りがなく争議行為が発生したとしても、それは次期協約のための争議行為として相対的平和義務に違反するものではない。このことを国鉄分割・民営化にスライドさせると、分割・民営化後の雇用問題について同法の規制が外れ労働組合法の適用下になってから、回復された争議権を背景に交渉したのでは、それまでに雇用、整理解雇は決まってしまうのであるから遅過ぎることになる、という問題となる。そこで、分割・民営化のための雇用=整理解雇を巡る争議については次期協約のための争議行為に相対的平和義務が及ばないのと同じく、公労法の規制は及ばない、と考えるべきことになる。

4  解雇後の濫用

本件第二波ストライキを巡る前記の諸事情を考慮すれば、公労法一八条の解雇基準は、より一層厳格に定立されるべきであり、同条による解雇は、抑制的、制限的なものでなければならない。被告は、それとは正反対に、「解雇基準の緩和」を主張するが、国鉄の民営化が「不可避」(ただし、被告の主張の趣旨による。)であった本件第二波ストライキ及び処分当時の国鉄を巡る情勢において、いずれ合法となる行為について従来の例をはるかに逸脱して異常な解雇基準をあえて創設(第一波闘争については、一時は「全員解雇」まで示唆した。)し、その適用を強行したことには一片の正当性も合理性も認められない。

(一) 本件第二波ストライキの目的

本件第二波ストライキの目的は、国鉄の赤字解消策や経営形態にかかわる分割・民営化それ自体に反対するものではなく、分割・民営化に伴う国鉄労働者なかんずく動労千葉組合員の恣意的・差別的な職場からの排除・大量解雇につながる諸施策に反対するものであり、直接には①検修合理化反対、②千葉局から東京三鉄道管理局(以下「東京三局」という。)への業務移管反対及び③第一波ストライキに対する大量不当解雇処分の撤回要求であった。

(1) 61.3ダイヤ改正と検修合理化

千葉局は、昭和六〇年一二月二三日、動労千葉に対し、翌六一年三月のダイヤ改正に伴う運転系統の要員合理化案として、次のとおり、同局内で合計一五四名の要員削減を提案してきた。

動力車乗務員 四名減

検修要員 一二七名減

構内要員 二三名減

右提案のうち、その中心である検修関係についての内容は、おおむね、

ア 機関車・気動車検修関係で、

(ア) 車両検査周期の延伸(交番検査の周期延伸、仕業検査の周期の延伸、要部検査の廃止など)

(イ) 検査施行体制の見直し(例えば、佐倉機関区でDD五一形式について、六名×二日行程を五名×二日行程とするなど)等

イ 電車検修関係で、

(ア) 車両検査周期の延伸(例えば、仕業検査周期の延伸、交番検査の周期の延伸など)

(イ) 仕業検査や交番検査の見直し(効率化、分担の融合化など)等

を行うことを主な柱とするものであった。

右検修合理化案は、運用車両の整備にかかわる安全運転の確保に重大な支障を来すものであり、それ故、動労千葉は、国鉄分割・民営化に際して切捨て(整理解雇)の対象となるべき「余剰人員」化を巡る要員問題だけでなく、安全運転の確保に責任を持つ労働組合として、運転保安確立の点からもこれを重大事案と判断し、同年一月一四日、申第一七号をもって、右提案について団体交渉による解決を申し入れたところ、国鉄当局は、同月二三日、「業務運営の効率化は必要不可欠のものであり」、「安全輸送を考慮した上で実施していく」旨の回答しかしなかった。

国鉄の運輸業務は、自動車輸送やさらには私鉄の場合と異なって、長距離・大量(連結車両数が全く異なる。)・高速輸送であり、それ故に、いったん事故が発生すればその被害は乗務員のみならず乗客や沿線住民の人命被害を含めて甚大なものになる。他方、運転士・機関士を中心とする職能的な労働組合である動労千葉は、運転業務のプロ集団として安全輸送確保を労働組合の核心的な使命としてとらえ、旧動労以来伝統的に運転保安確立を闘争の中心的な課題として展開してきた。前記の検修合理化は、国鉄をして第二の日航に導く危険な性格を持つものであったため、動労千葉としてはこれに強く抵抗せざるを得なかったのである。

(2) 業務移管問題

国鉄当局は、昭和六一年一月一四日、動労千葉に対し、前記の検修合理化とは異なり、特殊千葉的な問題として、新たに「乗務行路の受け持ち変更について」と題する提案を行い、同年三月のダイヤ改正に伴い、これまで千葉局の担当してきた乗務行路のうち、総武(中央)緩行・総武快速線、常磐、我孫子線の相当量を東京三周に業務移管し、その結果、千葉局において、次のとおり、合計七四名の電車運転士の要員減(=「余剰人員」化)となる旨の通告をしてきた。

ア 総武・中央緩行線

一日一万五〇〇〇キロのうち、一日三〇往復分約三〇〇〇キロの業務を津田沼電車区から東京西局の中野電車区に移管する。

イ 総武快速線(千葉・東京間)

一日八〇〇〇キロのうち、一日二五往復分約二〇〇〇キロの業務を千葉運転区から東京南局の田町電車区に移管する。

ウ 成田・我孫子線

一日分約二〇〇〇キロの業務をほぼそっくり千葉運転区成田支区(以下、単に「成田支区」という。)から東京北局松戸電車区に移管する。

すなわち、右アないしウの業務移管によって合計約七〇〇〇キロの業務を千葉局から東京三局に移管し、それに伴って次のように計七四名の千葉局乗務員を削減して「余剰人員」化し、国鉄分割・民営化に伴う首切り合理化の対象(被告送り)にしようとするものであった。

津田沼電車区 三三名減

幕張電車区 七名減

千葉運転区 九名減

成田支区 一二名減

館山運転区 五名減

勝浦運転区 五名減

銚子運転区 三名減

なお、右のうち、館山、勝浦及び銚子の外周三区の要員減は、主として、右三区から千葉運転区への千葉局内での業務移管によるものであり、千葉運転区の業務減の一部補充ということになる。そして、勝浦運転区はすべて、館山運転区ではほとんどの、銚子運転区では約三分の一の乗務員が組合員であった。

右のように東京三局に業務移管を行うことには、国鉄の運輸業務上どのような合理的な根拠ないし必然性も存在しなかった。すなわち、千葉局は、千葉が東京のベッドタウンという性格上右提案当時全国唯一のビルド局で業務量が増加の傾向にあったにもかかわらず、それまでの合理化によって既に六〇〇名もの「余剰人員」を抱えていた(うち運転部門である検修、乗務員だけでも四〇〇名いた。)。それなのに、既に日本一業務量の多い、しかも「余剰人員」も少ない東京三局に七〇〇〇キロも業務量を移管することは、人員に対応した業務量の平準化という点からも全く不合理なことであった。しかも、我孫子線や総武快速線の場合では、それぞれ乗り出しのための、松戸―我孫子間、田町―東京間の便乗勤務(勤務時間に算入される。)が発生し、乗務員の移動などで勤務効率が悪くなるし、総武緩行線の場合にも、車両基地の配置の関係から中野電車区の乗務員が津田沼から乗り出すためにわざわざ津田沼電車区(当時)で泊り勤務に就かなければならない等著しく効率が低下することは明らかであった。このように業務の効率上からも、右の業務移管には何らの合理性も認められなかった。

右業務移管・合理化案は、国鉄自らが主張してきた業務の効率化に反してまでも、千葉局に余剰人員を生み出すことを目的としたものであり、その真のねらいは、首都圏の動脈である総武緩行・快速線、常磐、我孫子線から動労千葉を排除し、動労千葉の争議行為の影響力を減殺した上、動労千葉の組織を破壊することにあった。

動労千葉は、同年一月一七日、申第一八号をもって、右提案について団体交渉による解決を申し入れ、かつ、業務移管の根拠について「千葉局は、61.3ダイヤ改正の業務増に対応できる要員状況にあると考えるかどうか」当局の釈明を求めたところ、国鉄は、同月二三日、「千葉局運転関係の要員需給状況については電車関係の士職が現時点相当数の過員状況にある」旨回答した。

(二) 本件第二波ストライキの経緯

(1) 団体交渉

国鉄は、61.3ダイヤ改正に伴う業務移管・合理化案について動労千葉と合意をみていないにもかかわらず、東京三局所属電転運転士に千葉局管内の線路見習訓練(以下「線見」という。)を実施させようとしたので、動労千葉は、同月二八日、国鉄に対し、申第一九号をもって「妥結するまで業務移管にかかわる線見は中止すること」及び「動労千葉申第一七、第一八号についても誠意をもって解決すること」を申し入れた。これに対し、国鉄は、同月三〇日、「時刻改正を円満に実施していくため、一部、事前作業が発生するが、それらについて協力されたい。」と線見を強行実施する考えを明らかにした。

動労千葉は、同年二月以降、次のとおり国鉄と団体交渉を行った。

同月三日

線見及び幕張電車区の構内作業について

同月五日

運転保全に係る検修合理化について

同月六日 申第一七号について

同月一二日

機関車関係の検修合理化について

同月一三日

業務移管及び検修合理化について

同月一四日 右同

しかし、国鉄は、「施策の変更はできない。決定されてしまったことには従わざるを得ない。」と繰り返し、最終の同月一四日に至り、検修合理化案について検修関係要員数名に関して一部修正提案をしたが、動労千葉の要望に到底沿うものではなく、さらに一五日早朝にかけて交渉を継続したが、不調のまま推移した。

(2) 線見の強行実施とストライキ方針の決定

国鉄当局は、業務移管を既定の前提として、そのための線見の計画を明らかにし、動労千葉の強い反対にもかかわらず、同月四日からそれを強行実施した。

そのため、動労千葉としては団体交渉において業務移管の内容について国鉄側に譲歩を迫るためにはストライキをもって対抗するしかないと判断し、同月六日の第一七回執行委員会において本件第二波ストライキ方針を決定し、これを明らかにした上で、国鉄当局に譲歩を求めることにした。

(3) 本件第二波ストライキ突入の経緯

右のとおり国鉄当局は検修合理化案についてほんのわずかな譲歩しか示さず、業務移管問題については全く譲歩するところはなかったが、動労千葉としては、当局側の譲歩をあきらめることなく、同月一五日昼まで当局側の回答を待つため、交渉部長山口敏雄(以下「山口」という。)が本件第二波ストライキ当日の午前二時まで局で待機し、さらにストライキ突入後も団体交渉の再開に即座に対応できるように組合事務所で待機を続けた。

そして、動労千葉は、同月一二日にはストライキ予定日は大学の受験時であるため受験生へのストライキの影響を軽減させようと、ストライキ中の受験列車の運行の提案を行ったが、国鉄当局は、事実上これを拒否した。これは、国鉄当局があらかじめストライキの実施を大前提として千葉以東の列車について全部(房総方向)又は一部(銚子方向及び成田―我孫子間)の計画運休を決めていたからにほかならない。

国鉄当局は、同月一四日、団体交渉による解決の姿勢を放棄して、千葉駅頭をはじめとして各駅において乗客利用客に対し「お知らせ」と題するチラシを配布し、千葉以東の総武本線、外房線、内房線、成田線、鹿島線及び東金線における全面運休の方針を明らかにするなど動労千葉のストライキの実施を前提とした対策にのみ終始した。

以上のように、国鉄当局が団体交渉において不誠実な対応に終始する一方でストライキ対策ばかりに全力を注いでいたため、動労千葉は、やむを得ず、津田沼、千葉運転及び成田の三拠点において同月一五日始発から二四時間ストライキに突入したものである。

(4) 本件第二波ストライキの中止

動労千葉は、同日午後五時三〇分、本件第二波ストライキを中止した。

ストライキ中止の理由は千葉県下の受験生への配慮と翌一六日の千葉局全域のスムースな所定ダイヤどおりの運行の確保のためであるが、後者は、外周三区における確認書の関係で同日の勤務に就く乗務員についても国鉄当局が同日の分を含めて勤務を受け取ろうとしなかったため、それらの乗務員が同日も乗務できずに終わって所定ダイヤによる運行の不可能又は困難が予想されたことによる。

(三) 本件第二波ストライキの規模・態様と影響

(1) ストライキの対象線区

最大の輸送距離を採っても、

千葉〜東京(総武快速)39.2キロ (千葉運転区支部担当)

千葉〜三鷹(総武・中央緩行)60.2キロ (津田沼支部担当)

千葉〜銚子(成田線)94.7キロ

(以下、成田支部担当)

佐原〜鹿島神宮(鹿島線)17.8キロ

成田〜我孫子(我孫子線)32.9キロ

我孫子〜上野(常磐線)33.5キロ

に過ぎず、いずれも近距離である。

(2) 代替輸送手段の存在

右対象線区には、次のとおり代替輸送手段がある。

武蔵野線 (西船橋)〜常磐線(千代田線)

常磐線 我孫子〜上野

京成線 成田〜千葉〜津田沼〜船橋〜市川〜小岩〜上野

新京成線 津田沼〜松戸〜常磐線(千代田線)

東武野田線

船橋〜常磐線(千代田線)

東西線 西船橋〜中野

東武亀戸線

亀戸〜曳舟〜都営地下鉄〜

都営地下鉄 船堀〜新宿

そして、国電浅草橋以西には地下鉄網が張り巡らされており、全域に私鉄駅又は都心直行の都営バス・京成バス・千葉交通バス路線がある。

(3) 運行確保率等

国鉄当局による運行確保率は、

総武快速 77.8パーセント

総武・中央緩行 59.9パーセント

成田・我孫子・鹿島

69.1パーセント

であり、常磐線の運休は四本である。

(4) ストライキ参加人員

拠点支部のストライキ参加人員は、次のとおり多くはない。

千葉運転区支部

四〇名(当局認定五六名)

津田沼支部

四一名(当局認定四七名)

成田支部

二七名(当局認定三四名)

当局認定が若干多いのは、当局が予備乗務員もストライキ参加人員に加えるためである。

(5) 利用客の対応

本件第二波ストライキの計画は、報道陣に注目されていて早くから報道がなされ、スト実施については遅くとも同月一四日夕刻には利用客に周知徹底されており、乗客がストライキに立腹して列車の運行を要求するなどの混乱を招くような事態は皆無であった。

(6) ストライキの態様

本件第二波ストライキでは積極的に列車の正常な運行を阻害する行為を全く伴っておらず、整然と実施されており、組合員の労務提供拒否の態様で実施された。

(四) 本件第二波ストライキの指導構造

(1) 動労千葉の組織の規模と性格

動労千葉は、昭和五四年三月三〇日、組合員一四〇〇人の当時の国鉄動力車労働組合(以下「動労」という。)千葉地方本部(以下「千葉地本」という。)が総体として動労から分離・独立して結成された労働組合であり、動労千葉の動労からの総体としての分離・独立という特質から、動労千葉の組織形態(したがって、これに伴う意思決定、連絡体制なども)は、動労千葉地本のそれを維持し、今日に至っている。支部の組織形態も、動労千葉地本当時と同様である。つまり、組織形態という外形に限ってみると、動労千葉に(旧)動労本部を結合させれば、(旧)動労千葉地本と同じ形態になるのであって、ここにおいては動労千葉地本当時と動労千葉とで格段の「意思決定・連絡等の実態に差異がある」とはいえない。のみならず、国鉄労働組合(以下「国労」という。)や動労においては中央本部―地方本部という系列のほか、中央本部―各地方評議会(動労千葉地本は、関東地方評議会に所属)―各地方本部などの組織系列が存在し、その意味では大規模な全国的集団は小規模な地域的集団と異なり、その規模に見合ってより密接な意思決定、連絡体制を有しているともいえる。

(2) 本部指導の意義と性格

動労千葉は、地方的・職能的な小規模の組織であり、本部指令、本部指導が支部という中間機関を経由せずとも容易に伝達し得る組織である。しかも、本件第二波ストライキは、定期委員会における基本的方針の決定、本部執行委員会における戦術決定、その本部指令の伝達という経路で容易に伝達、指導できるのであって、各支部による独自の指導という要素が極めて薄い。

(3) 本部派遣執行委員の権能

ア 動労千葉は、第一七回執行委員会で本件第二波ストライキの必要事項を決定し、その後の団体交渉の推移を見た上でこれを指令第一五号として各支部に指令し、同時に右ストライキの指導体制として各本部執行委員に次のとおり任務を分掌させた。

① ストライキ拠点に派遣する本部執行委員(本部派遣執行委員)

津田沼支部 執行委員(教宣部長)

吉岡一

千葉運転区支部 執行副委員長(交渉部長)

山口

(ただし、団体交渉待機のため、実際には昭和六一年二月一五日午前二時まで組合本部にいた。)

成田支部 執行委員(財政部長)

西森巌(以下「西森」という。)

② 本部残留執行委員

執行委員長

中野洋(以下「中野」という。)

書記長

布施宇一

イ 右の本部派遣執行委員と本部残留執行委員の具体的な任務分掌は次のとおりである。

① ストライキ突入及び集約と、国鉄当局との交渉についての判断権・指令権は本部残留執行委員にある。ただし、本部残留執行委員は、この責任を執行委員会に対して負う。

② 本部派遣執行委員は、本部指令に基づいて各拠点支部における現地指導の一切の権限を有する。当日の異常な弾圧体制にかんがみ緊急の場合は独自に判断し処理することとなるが、その場合には速やかに本部残留執行委員に報告する。なお、その際の指導責任は、本部派遣執行委員が執行委員会に対して負う。

ウ 本部執行委員の各派遣現場である支部には支部執行委員会などの執行・指導機関があるが、元来これら支部以下レベルの各級機関は、大会や委員会及びそれらの決議に基づいて指令権を有する本部執行委員会という上級機関の指導に服する義務がある(動労千葉規約(以下「組合規約」という。)一九条、二二条、二八条)上、特にストライキという非常事態では高度の組織的統制力の発揮と機関中心主義の尊重が求められる関係上、支部以下レベルの独自の執行・指導権限は凍結され、すべて本部執行委員会(又は闘争委員会―本件の場合は本部執行委員会)の直接指導下に置かれ、この本部執行委員会(これを代表する執行委員長)から派遣された執行委員が全権限を掌握することとなる。

エ 支部代表者会議の意義と性格

支部代表者会議は、組合規約で定められた会議ではなく、組合本部の方針の伝達と確認のための会議である。そして、支部代表者会議で提起される本部方針は、組合大会やそれに次ぐ機関である定期委員会で大綱が決定され、本部執行委員会で細目が定められて確立した方針であるから、それは伝達されるのみである。正規の機関ではない支部代表者会議でこれを否決したり変更したりすることはできない。

オ 支部執行委員の権能

動労千葉が本部―支部という組織形態を採り、これらの機関を単位として意思形成を図る体制を採っている以上、本部の決定事項について各支部でその確認と周知伝達の場が持たれることは当然である。この点は、動労千葉に限られるものではない。しかも、支部の単なる執行委員が本部役員の直接的指導を受けたり、これと方針の討議を行うような機会は、組合規約上もまた実際上も存在せず、支部執行委員は、支部長を介して本部(役員)と間接的関係を持つのみである。

カ 支部青年部長の地位・役割

支部青年部は、支部の中核的な推進力として支部の方針に従って行動し、かつ、このための啓もうを行うことを目的とした活動及び事業を行うために、満三二歳未満の男子組合員で組織される支部の組織区分の一つで(成田支部規約一五条、組合規約一八条、青年部設置規則二条)、支部青年部長は、支部大会で承認され支部特別執行委員となるが、支部の特別執行委員は、支部機関に出席し発言することができるだけで機関の構成員になるわけではないから、支部の決定事項にも関与することができない存在である(青年部設置規則四条、成田支部規約三〇条、組合規約五九条)。

(五) 他の処分との不均衡

以下に述べるとおり、原告らに対する処分は、いわゆるスト権ストに対する処分や、本件第二波ストライキにおける他の処分と比較して均衡を欠いており、このことは、原告らに対する処分が裁量権を著しく逸脱したものであることを示している。

(1) いわゆるスト権ストに対する処分との比較

動労千葉所属の組合員に対して第一波ストライキで二〇名の、本件第二波ストライキで八名の公労法一八条による解雇がなされた。動労千葉は、本件第二波ストライキ当時一〇六五名の小規模な労働組合に過ぎず、第一波ストライキ前の七名の解雇者を加え三五名もの解雇者を出しており、第一波ストライキについて被告が損害賠償請求訴訟を提起したことと併せ考えると、本件大量処分は、動労千葉を財政破たんにより解体させることをねらったものと考えざるを得ないが、それを措くとしても、国労及び動労が八日間にわたって全国をまひさせたいわゆるスト権ストでさえ、同条による解雇は一五名であったことと対比して、本項(三)で指摘した程度の規模の本件第二波ストライキでの解雇者八名という処分は、裁量権を著しく逸脱したものであることが明らかである。

(2) 原告らの地位等と同等の地位等にある者に対する処分との比較

同条による解雇は、幹部責任・指導者責任というべきものであり、ストライキに当たって指導的な地位にあり役割を果たした者、具体的には、独自の争議行為の主体たり得る最下位の団結体以上に高次の組織次元で、争議行為の核心部分の形成に対して重大な関与行為をした者に対してのみなし得るものである。実務的にも、これまでの下級審の裁判例では、動労の支部長、国労の分会執行委員長(いずれも動労千葉の支部長に相当する。)に対する同条による解雇が有効とされた例はなく、また動労の支部執行委員や国労の分会執行委員に対しては従来そもそも同条による解雇はなされなかった。動労千葉の組織形態等を検討すると、原告らが指導者としての地位になかったこと及び原告らが本件第二波ストライキにおいて実際に果たした役割も到底「指導」の名に値しないものであることは明らかであり、それにもかかわらず原告らに対して解雇をもって臨むのは、原告らの地位及び本件第二波ストライキで果たした役割と処分との均衡を欠いているといわなければならない。

(3) 本件第二波ストライキについて行われた他の処分との比較

本件第二波ストライキの拠点支部で公労法一八条による解雇者が出たのは、成田支部だけである。

しかし、同支部は、他の二支部に比べて規模が小さく、ストライキに参加した人数も少数であるし、参加者の参加時間も短い。また、ストライキの影響にしても、千葉運転区の組合員が主として総武快速線、津田沼電車区の組合員が総武緩行線と首都圏への通勤・通学のため重要な国電区間を乗務担当しているのに対し、成田支区の組合員が乗務担当するのは、成田駅と千葉、銚子、鹿島、我孫子駅等の間のローカル線に過ぎず、千葉運転区支部や津田沼支部におけるストライキの方が成田支部におけるストライキより影響が大きいことが明らかであるのに、何故同支部についてだけ同条による解雇者が出たのかは、全く理解不可能である。ことに、千葉運転区支部で昭和五九年以来青年部長を務めていた中村仁は既に第一波ストライキで停職六か月の処分を受けていたにもかかわらず、本件第二波ストライキでも停職六か月の処分を受けるに止まったが、成田支部で本件第二波ストライキ直前に青年部長になったばかりの原告岩井がそれまで何の処分歴もないにもかかわらず、いきなり同条により解雇されたのは、著しく均衡を欠く。

また、成田支部内でも、同じ支部執行委員でありながら、原告加納は、国鉄当局の現認報告書においても本件第二波ストライキにおける言動は全く記載されておらず、処分歴もないのに、同条により解雇され、高野隆は、公安員にば声を発し、点呼に際して公安員をどかすように何度か要求したことが右現認報告書に記載されているにもかかわらず、停職三か月で済んでいる。

(六) 原告らの本件第二波ストライキに対する関与の程度等

(1) 昭男

昭男は、成田支部書記長の地位にあり、第一五回定期委員会に出席して発言したことがあるが、本件第二波ストライキへの取り組みを議題とする定期委員会に出席し、同議題に委員として賛成したことと、右ストライキを企画し、実施し、指導したこととは全く別の問題である。定期委員会への委員として参加は支部の役職と直接の関係はなく、右委員会での議題の提案責任とも関係がない。その提案に賛成したことが直ちに提案・議決事項の実施についての責任と結びつくものでもない。また、昭男は、昭和六一年二月七日の支部代表者会議に出席しているが、右ストライキについて伝達する支部代表者会議に出席したからといって右ストライキを指導したことにならないことは、既に指摘したとおりである。成田支部においては、同月六日の第一七回本部執行委員会の決定によりスト拠点に指定されるとともに、以後は本部の直接指導とされ、同月一四日までは前記線見阻止闘争から引き続いて本部執行委員片岡一博が、同日からは本部派遣執行委員西森がそれぞれ右ストライキの指導に当たった。昭男は、右ストライキの前日に、組合員約六〇名の集会で進行係を務めたが、右集会は本部主催のもので、西森の指示に基づいたものに過ぎず、特に指導的行為と見られるような発言はしていない。右ストライキ当日の当局に対するストライキ通告は西森が行い、昭男は、西森の指示に基づいてそれに立会っただけである。昭男は、貨物列車の機関士であり、右ストライキの対象とされておらず、当日は日勤勤務として同日午前八時五七分に出勤点呼を受け、所定の勤務(成田支区庁舎内での待機)に就いた。

なお、昭男は、それまでに昭和五六年三月の81.3ストライキ及びその前の線見阻止闘争の関係で減給一二か月一〇分の一の処分を受けただけである。昭男は、当時同支部執行委員であった。

(2) 原告大畑

原告大畑は、成田支部副支部長の地位にあり、第一五回定期委員会及び昭和六一年一月九日の支部代表者会議に出席したことがあるが、これらをもって本件第二波ストライキの指導者責任を論じる余地のないことは昭男と同様であって、右ストライキに際しては昭男と同様本部派遣執行委員の指揮下にあり、事実、指導行為といわれるような行為をしていない。原告大畑は、国鉄に勤務して以来検修関係の職務に就いており、検修関係の組合員の代表として昭和六〇年一〇月の支部定期大会で副支部長に選出されたもので、乗務員の指名ストライキである右ストライキの対象とされておらず、右ストライキ当日も午前八時五五分に出勤点呼を受け、午後五時三〇分ごろまで勤務に就いている。

原告大畑の処分歴は、81.3ストの関係で、同支部執行委員として減給三か月一〇分の一の処分を受けたに止まる。

(3) 原告髙柴

原告髙柴は、成田支部副支部長の地位にあり、昭和六一年一月二三日の支部代表者会議に出席したが、これをもって本件第二波ストライキの指導者責任を問われるべきでないこと、及び、右ストライキの際には本部派遣執行委員の指揮下にあったことは、原告大畑と同じである。原告髙柴は、昭和六〇年一〇月に原告大畑とともに同支部副支部長に就任したが、動労千葉においては、支部の役員は支部員の世話役といった色彩が強く、そのような事情から多分に年功序列的な持り回りといった感じで支部役員を引き受けるような面があった。

原告髙柴は、昭和三七年に国鉄に入り、昭和四六年からは気動車運転士及び電車運転士としてハンドルを握ってきた。一五年の運転士としてのキャリアにおいて自分のミスによる事故などは皆無であり、一〇万キロ無事故証を三度にわたって受け、成田線で乗務中神崎駅において「異線現示」を発見し、それについて成田運輸長から表彰を受けている。ところが、原告髙柴は、右ストライキ当時、不当にも「地上勤務」とされ、本務である運転乗務の仕事から外されていた。それ故、右ストライキ当日も、日勤ということで定時の時間どおりに出勤したが、特に定まった仕事を与えられず、乗務員詰所で待機を続けており、したがって、右ストライキに参加し得る立場になかったのである。

原告髙柴は、81.3ストの関係で同支部執行委員として減給四か月一〇分の一の処分を受けた処分歴があるに過ぎない。

(4) 原告加納

原告加納は、昭和五六年秋から成田支部執行委員に就任したが、それ以前は組合活動を積極的にやったということがなく、したがって、役員歴はない。原告加納は、教宣担当の執行委員で、主として、動労千葉の機関紙である「日刊動労千葉」の配布を行ったり、ビラ原稿の作成やカット、印刷などの仕事をしていた。教宣の責任者は、書記長の昭男である。

原告加納は、本件第二波ストライキに向けて積極的な活動はほとんどしていない。右ストライキ当日は予備勤務で、勤務時間は午前九時から午後四時一六分までだったので、定時に出勤して当直助役の出勤点呼を受け、確認の押印をした。原告加納は、その際、助役に対し、当日の乗務勤務があるならばその勤務内容(乗務行路)を明らかにするように求めた。しかし、助役は、計画運休の措置故に何らの乗務行路の指定もせず、結局そのまま予備勤務として一日が終わった。予備勤務者にとっては具体的な乗務行路の業務指示があって初めて乗務勤務が発生する。これをストライキとの関係でいえば、乗務勤務があって初めてストライキが意味を持つのである。原告加納は、勤務終了の同日午後四時一七分に、他の予備勤務者とともに当直助役室に行き、退庁点呼を受け、翌日の勤務の確認をした。したがって、国鉄当局も原告加納についてはストライキ参加の勤務認証(不参・否認)をしていない。

原告加納は、四〇万キロ近くの走行で一度も事故を起こしていない。そして、千葉局長から「動力車乗務員一〇万キロ無事故記録証」を三度受領しているほか、昭和五五年三月人命救助で局長表彰、異線現示、信号故障の発見などで数回区長表彰を受けている。

原告加納にはそれまでに処分歴がない。

(5) 原告岩井

原告岩井は、本件第二波ストライキの直前である昭和六一年二月九日に正式な選任手続を経ずに成田支部青年部長に就任したが、その経緯は、それまで同支部青年部長であった高橋正が第一波ストライキで停職三か月の処分を受けて任期途中で右青年部長を辞めたい意向を示し、同月四日から強行実施されている線見に反対する闘争の最中でだれかがならなければならないにもかかわらずわずか一四名の同部員の中でなり手がなく、断わり切れずに就任したのである。原告岩井には、それ以前に組合の役員歴はない。もともと支部青年部長には前述したようにストライキに向けて何かをやる役割も権限もないばかりでなく、そのような就任の経緯からも原告岩井は、本件第二波ストライキに向けて支部青年部長としていわゆるオルグ活動をしたというようなこともなかった。原告岩井は、西森の指導の下で同月一四日午後五時四五分から成田支区庁舎玄関前で開かれたスト前夜集会に参加し、司会から求められて発言しているが、その発言も「集会に講習室を使わせないのはおかしいと思う。」という右ストライキの実施とは少しずれたことをあいさつ程度に二、三分述べたといったものである。

原告岩井は、当時勤続九年の電車運転士であったが、右ストライキ当日は公休であった。それで、その日は大半を乗務員詰所や組合事務所で過ごした。そして、午後二時ごろからわずか二分程度佐倉支部青年部を含めた青年部の一二、三人が並んで仲間内の集会のようなことを行ったが、そのときも、原告岩井は、簡単に仲間内のあいさつといった発言をしただけである。

原告岩井は、これまでに電車運転士として事故を起こしたことは一度もなく、「動力車乗務員一〇万キロ無事故記録証」をもらっている。そればかりでなく、昭和五八年八月に神崎・大戸線上での電車運転中における架線上の障害物発見及び除去で成田運輸長賞を、昭和六〇年四月に千葉駅での異線現示の発見で再度の成田運輸長賞をそれぞれもらい、その他に区長表彰(と思われる表彰)ももらっている。

原告岩井は、本件解雇処分時までに国鉄当局から懲戒処分を受けたことはない。

(6) 原告西本、同鶴岡及び同笹生

ア 前述したとおり、外周三区は、スト拠点ではなく、外周三区の組合員は、平常勤務に従事するものとされていた。外周三区から千葉駅に乗り入れる各線の動労千葉に所属する組合員たる乗務員が同駅着と同時にストに入る予定であったとの国鉄当局の認識が失当であることは、前述したとおりである。このように外周三区には動労千葉の指令に基づくストライキ状態は存在せず、したがって、ストライキを前提として国鉄当局がこれに対抗する行為を行う余地もなかったのである。国鉄は、確認書提出拒否を争議行為と解しているようであるが、組合員の確認書提出拒否は、国鉄の提出要求によって初めて発生した事態であり、動労千葉が各組合員に対して右要求への対応を指示、指導する余地もなかったことから見ても、これが争議行為に該当しないことは、明らかなことである。しかも、国鉄側の確認書提出要求自体が前述したような法的根拠のない違法な行為である。そればかりでなく、国鉄の確認書要求は、そもそも千葉以東における計画運休―勝浦及び銚子については全面運休、銚子については組合員の乗務予定列車等の運休―が大前提としてあったものである。そのことは、①前述した本件第二波ストライキ前日の段階での駅頭での「お知らせ」の配布(当然駅頭に同内容の看板が出されていたはずである。)のほか、②銚子運転区において組合員の乗務予定の列車番号があらかじめ飛ばされていたこと、③既に運転台に着き、信号指示でいつでも発車できる状態になっていた列車についても信号を開かなかったこと、④館山運転区においては、交番勤務で乗車勤務に就くはずの国労の組合員に対しては確認書提出を要求しなかった(すなわち、変仕業の指示がなく所定の交番勤務に就くことになる。)にもかかわらず、これらの国労組合員である乗務員が乗務すべき列車も運休になったこと、⑤国鉄側は確認書の提出要求を「出勤戦術」への対処であると考えていたようであるが、「出勤戦術」は、使用者側の操業停止すなわち本件では計画運休が前提となってはじめて成立する概念である。以上のことから明らかなとおり、国鉄は、既に計画運休を決定していたため、乗務予定の組合員が携帯時刻表の受領(内容の確認が前提となる。)や乗務行路の口頭通告を通じて当日の全行路を乗務する意思を明示しても乗務勤務としての労務を受領できなかったこと、この計画運休はひとまず措くとしても、組合員を列車に乗務させたくなかったか、あるいは、前記の「千葉駅着と同時にスト突入」という憶測にのみ捉われていたかのいずれかであって、外周三区の組合員には何らの責任もないのである(大体において、「私は、昭和  年  月  日  時  分 私の意思で就労することといたします。ついては、組合のストライキ指令に従うことなく、駅(区、所)長の命令する業務に従事します。」という確認書の内容が、乗務意思の確認を目的としたというよりも、「組合のストライキ指令に従うことなく」の文言に示されているとおり、動労千葉の組合活動への介入と容易に理解されるものであり、個々の組合員にとっては、組合への帰属意識を国鉄の持ち出した「踏み絵」によって調査されるという、内心の自由の侵害と受け止められるものであり、「駅(区、所)長の命令する業務に従事いたします」の文言も、当日の乗務予定に関係なく超過勤務や行路変更も含めて包括的な労務指揮権を国鉄の駅(区、所)長にゆだね、かつ、これらの者の乗務命令には全面的に服従するとの主旨と解されるのであって、もしそうとすれば、労働条件の一方的変更にあらかじめ同意を与えることになり、そのようなことは、自覚ある労働者として直ちに応じ難いものである。)。

イ 本件第二波ストライキ当時、原告西本は銚子支部長の、原告鶴岡は勝浦支部長の、及び原告笹生は館山支部長の各地位にあり、いずれも第一五回定期委員会並びに昭和六一年一月九日、同月二三日及び同年二月七日の各支部代表者会議に出席しているが、これをもって右ストライキの指導行為と目すべきでないことは、繰り返し指摘しているとおりである。

ウ 原告西本は、本件第二波ストライキ当日は非番であった。同日の銚子運転区においては、確認書を巡る国鉄当局による不当な否認扱いのため乗務員が乗務できなくなるという異常な事態があったが、それ以外に職場における混乱といったものは一切発生していない。

原告西本は、昭和五九年一一月から銚子支部長の地位にあったが、本件解雇処分時までに国鉄当局から懲戒処分を受けたことは一度もない。

エ 原告鶴岡の本件第二波ストライキ当日の勤務は非休であった。同日の勝浦運転区における勤務予定の電車運転士は、全員が動労千葉勝浦支部に所属していた者たちであったが、右電車運転士たちは、宿泊勤務者も当日出勤者もすべて平常どおり就業態勢に就いていた。確認書を巡る国鉄当局による不当な否認扱いのために乗務員が乗務できなくなるという異常な事態があったが、その際、乗務員らは、当局側のあまりに不当で前例のない確認書への署名の強要に対し、個々の意思で署名を拒否しており、したがって、その際に一定の異常な事態が発生した責任は、あげて国鉄当局の側にある。なお、それ以外には、職場における混乱といったものは一切発生していない。

原告鶴岡は、本件解雇処分時までに国鉄当局から受けた懲戒処分としては、減給三か月一〇分の一を二回、戒告が一回あるのみである。

オ 原告笹生は、館山支部長になるまでは乗務員分科会(それは、乗務員の仕事の内容に関する諮問機関で、決議機関などではない。)の委員をした位で、執行委員の経験もなかった。

原告笹生の本件第二波ストライキ当日の勤務は、前日からの徹夜勤務明けで、右当日の朝八時一〇分までが勤務であったが、予定の仮眠時間が午前一時から同五時までであったにもかかわらず、同四時ごろ起床し、同四時三〇分には構内運転に従事する職員の待機場所である外勤詰所に詰めた。勤務の予定では同七時五分館山発の特急さざなみ二号に関する仕事(電留線から駅ホームへの据え付け作業)を行うことになっていたが、国鉄当局が右特急を運休にしたので、原告笹生の担当する作業は不要になってしまった。結局、原告笹生は、同八時一〇分の勤務終了までずっと外勤詰所にいた。

原告笹生が右勤務終了後ホームの方に行ったところ、一仕業ないし三仕業の乗務員が何時間も電車内で待機した状態のままであったのを見たので、見るに見兼ねて区長に会い、「今まで持ち出したこともない確認書を要求して列車を止め、そのため乗務員が電車の中に止めておかれているのはかわいそうじゃないか。不当な拘束ともなるからやめてくれ。」と申し入れたが、区長は何も答えようとしなかった。原告笹生は、同日の勤務が終了後ずっと同支部組合事務所におり、国鉄当局が組合員に対して確認書を要求している現場には一度も遭遇していない。

原告笹生には、これまで処分歴がない。他方、国鉄当局から二度にわたって事故時における乗客救出で表彰を受けている。

六  再抗弁に対する認否

1  再抗弁1の主張は争う。

2  再抗弁2の主張は争う。公労法一七条は、一切の争議行為を禁止しているのであって、その目的いかんによって同法が禁止していない争議行為があるものではない。

3  再抗弁3の主張は争う。

4(一)  再抗弁4冒頭の主張は争う。同法がその目的いかんによって禁止していない争議行為があるものではないから、争議行為に参加し、あるいはこれを共謀し、唆し、若しくはあおった職員は、同法一八条によって解雇されてもやむを得ないのである。被告がる述するように、本件争議行為は、同法の争議行為禁止に反する違法行為である上、その目的、態様、時期、列車の運行に及ぼした影響等から見ても、その違法性が強いものである。また、本件争議行為は、第一波ストライキに対する世論の指弾や国鉄当局の中止申入れ及び事前警告にもかかわらずあえて挙行されたものであるところ、原告らの本件争議行為において果たした役割や行動から見て、原告らの責任も重大である。したがって、国鉄の同法一七条一八条に基づいて原告らを解雇したことは、適法かつ妥当なものである。

(二)(1)  同4(一)冒頭の事実は否認ないし争う。

被告が先に指摘したように、本件第二波ストライキは、動労千葉が国鉄の分割民営化反対等を目的に掲げて行った第一波ストライキに続く第二波闘争として実施したものである。現に昭和六〇年九月九日から同月一一日にかけて開催された定期大会にかけられた運動方針(案)には「国鉄分割・民営化阻止、一〇万人首切り合理化粉砕、運転保安確立、国鉄労働運動解体攻撃粉砕を中心とする具体的闘争方針について」と記載され、第一次統一行動として「国鉄分割・民営化阻止、雇用安定協約完全締結、反合・運転保安確立」等を中心にストライキを含む第一波闘争を同年一一月下旬に設定し、闘い抜くこととするとし、また、第二次統一行動以降の具体的戦術については、機関を開催して決するとしているのである。そして、同年一二月一六日開催の定期委員会にかけられた「反弾圧・反処分、第二波闘争を中心とする当面の取り組みについて」では、スローガンとして「11.28〜29ストライキで切り拓いた偉大な地平を打ち固め、反弾圧・反処分、第二波闘争を皮切りに、全国鉄労働者の怒りを総結集し、『分割・民営化』阻止、一〇万人首切り粉砕、運転保安確立、反動・中曽根内閣打倒へ向けた壮大な決起をかちとろう」と掲げられているのであって、同年一一月二八・二九日の争議行為が第一波行動とすれば、正に本件争議行為は、それを継承する第二波行動である。

(2) 同4(一)(1)及び(2)のうち、国鉄当局が昭和六一年三月に行われるダイヤ改正に伴う業務移管等を提案したこと及び提案の内容がおおむね原告ら主張のようなものであったこと(ただし、一部相違するところがある。)は認めるが、その評価等の主張は争う。

当時国鉄の業務全体について、その効率的な運営をするよう見直しがなされていたが、業務移管もその一つであって、首都圏管内での検修基地の集約、車両の配置変更、乗務行路の変更等によって業務運営の効率化を図ったものである。これは、千葉局だけの事情でこれを行ったものではなく、全体の見直し・効率化の中で、運転業務の一部移管等が行われたのである。業務移管は、このような業務運営の効率化を図るために行われたものであるから、例えば、昭和四七、八年ごろに、東京三局から、その業務の一部を高崎局や水戸局に移管するなど、ダイヤ改正や業務の効率化合理化の際には常に生ずるもので、昭和六一年三月のダイヤ改正においても千葉局のみに採られたものではない。同ダイヤ改正に当たり、検修基地の集約や車両配置変更などとともに、乗務行路の一部手直しがなされたが、総武緩行線の一部について東京西局に、同快速線の一部について東京南局に、常磐、我孫子線の一部について東京北局にそれぞれ乗務担当を変更することとし、同年一月に動労千葉に対して提案・説明された。そもそもこのような変更は、本来、首都圏本部長の権限で行われる管理運営事項に属するものであって、動力車乗務員の勤務協定の範囲内で行われているのであるから、一々労働組合との合意を必要とするものではないが、要員数の変更もあるので提案されていたのである。ちなみに、乗務行路は、動労千葉の組合員だけのものではなく、組合のいかんを問わず乗務する職員に共通するものであるから、「業務管理が動労千葉潰し」などといわれるものでないことはいうまでもない。この変更は、当時破たんした国鉄の経営状態を立ち直らせんがため、首都圏本部で立案された施策なのであって、これをもって本件争議行為を正当化する理由とすることはできないことは明らかである。

(三)(1)  同4(二)(1)のうち、千葉局が動労千葉と昭和六一年二月六日、一三日、一四日に団体交渉をしたことは認めるが、国鉄当局が動労千葉との団体交渉を拒否したことは否認し、その余の事実及び主張は争う。同月三、五の両日は、専門委員会の協議である。なお、同月六日には専門委員会の協議も行われている。当時、動労千葉との右団体交渉は、一〇回以上にわたって行われている。

同年三月に行われるダイヤ改正は、業務の効率的運営を図ったものであり、各部門において要員の減員化・合理化を図るもので、運転士職だけでなく、検修職や構内職などにもわたるものであった。このダイヤ改正について、千葉局では動労千葉に対して昭和六〇年一二月二三日に提示し、その後、これを巡って団体交渉が行われている。当時、動労千葉との右団体交渉は、一〇回以上にわたって行われ、特に本件第二波ストライキ直前には連日開催されており、国鉄側は、スト直前の時点では、要員等の見直しなど対応できる範囲で動労千葉の要求も採り入れてきたので、当局としては精一杯の努力をしている。そして、今後新たな問題があればいつでも団体交渉に応ずるとして、動労千葉に対してストライキを回避するよう説得してきたが、動労千葉はそれを蹴って本件第二波ストライキに突入したのである。むしろ、動労千葉側の態度は、交渉を打ち切らせようとするもので、交渉に出席した者たちは、ダイヤ改正は同年三月三日であってまだ時間があるのに、なぜ動労千葉が交渉を打ち切って同年二月一五日にストライキをしなければならないのか、疑問を感じた。右のようなことから見ても、国鉄が団体交渉を拒否したこともなく、むしろ何としてでも本件争議行為を中止させようとしていたこと、また動労千葉があらかじめ設定したスケジュールに従って本件争議行為に突入したことは明らかである。

(2) 同4(二)(2)のうち、同月六日の執行委員会において本件第二波ストライキ方針を決定したことは認めるが、その余は争う。

(3) 同4(二)(3)のうち、動労千葉が津田沼、千葉運転及び成田の三拠点において同日始発から二四時間ストライキに突入したことは認めるが、その余は争う。

(4) 同4(二)(4)のうち、動労千葉が同日午後五時三〇分に本件第二波ストライキを中止したことは認めるが、その余は争う。

(四)  同4(三)は争う。

(五)  同4(四)は争う。動労千葉の委員長である中野は、その手記の中で「動労千葉は第二波闘争をたたかうにあたって全組合員が議論を重ね、意志統一を何回もやりました。第一波ストライキをむかえる時以上の議論を重ねました。」と書いている。

(六)  同4(五)は争う。本訴が提起されるに先立って、原告加納、同岩井、同西本、同鶴岡及び同笹生が申請人となって東京地方裁判所に対して地位保全等仮処分の申請をしたが、同裁判所は、右申請を却下し、右申請人らの過去の争議行為における処分の前例と比較して、本件解雇は厳格に過ぎるとの主張に対しては、「解雇権の行使が裁量の範囲を逸脱しているかどうかは、ストライキの規模、行為者の組合における地位等のみならず、行為時の客観的社会状況、行為に対する社会の評価等も総合的に考慮して決せられるべき問題であって、本件においては、申請人らの行為に対する社会全体の厳しい非難を考慮すると、前例と比較しても、本件解雇が社会通念に照らし、不相応なものとは認められない。」と判断している。

(七)(1)  同4(六)(1)のういち、昭男が成田支部書記長の地位にあり、第一五回定期委員会及び昭和六一年二月七日の支部代表者会議にそれぞれ参加したことは認めるが、その余は争う。

(2) 同4(六)(2)のうち、原告大畑が成田支部副支部長の地位にあり、第一五回定期委員会及び昭和六一年一月九日の支部代表者会議にそれぞれ参加したことは認めるが、その余は争う。

(3) 同4(六)(3)のうち、原告髙柴が成田支部副支部長の地位にあったことは認めるが、その余は争う。

(4) 同4(六)(4)のうち、原告加納が昭和六〇年一一月以降成田支部執行委員の地位にあったこと、原告加納が本件第二波ストライキ当日は予備勤務で、勤務時間は午前九時からであったこと、原告加納が同日午前九時前に当直助役に対して行程を示すよう要求したことは認めるが、その余は争う。

(5) 同4(六)(5)のうち、原告岩井が昭和六一年二月九日以降成田支部青年部長の地位にあったこと、原告岩井が同月一四日成田支区庁舎玄関前で開かれた集会においてあいさつしたことは認めるが、その余は争う。

(6) ア 同4(六)(6)アのうち、外周三区がスト拠点となっていなかったこと、国鉄当局側が動労千葉に所属する組合員で本件第二波ストライキ当日に勤務が予定されていた運転士に対して確認書の提出を要求したこと、確認書の提出を求められた組合員全員がそれを拒否したことは認めるが、その余は争う。

前述したように、動労千葉は、昭和六一年一月二四日、「各支部は不当処分粉砕、業務移管・線見阻止、検修合理化阻止、第二波闘争勝利へ向けて、ストライキを含むあらゆる戦術を行使できる万全の準備体制を確立すること」等という指令第一二号を発し、同年二月八日には、「各支部は、二月一二日以降当分の間、非協力・順法闘争の戦術を強化すること。各支部は、二月一四日以降、何時いかなる時も、ストライキに突入できる準備体制を確立すること」等の指令第一四号を発し、さらに同月一二日には、執行委員会でストライキを行う旨の決定をした。このように、動労千葉は、全支部に対し、本件争議行為について同月一四日以降のストライキの準備をさせたが、国鉄当局に対しては、本件争議行為に当たり、どこでどのような戦術を採るのか、その具体的な内容を一切通告しなかった。そのため、国鉄が右争議行為への対策を立てるに当たり、どこでどの程度のストライキやその他の戦術が採られるのか不明であった。しかも、第一波ストライキでは、いわゆる拠点とされた地区以外でも混乱を生じていた。

そこで、国鉄は、動労千葉発行のビラで入手できたものや、新聞その他の情報に基づいて、具体的な争議行為の規模や内容を予測し、対応策を立てざるを得なかった。すなわち、同月九日の新聞各紙によれば、動労千葉の委員長が明らかにしたこととして、同月一四日から翌一五日にかけて最高四八時間のストライキが予定され、「スト拠点は千葉、津田沼、成田の三ヶ所。前回の総武快速・緩行に加え、成田線の三地区が主にスト対象になるが、成田線に乗り入れている常磐線や鹿島線、総武本線にも影響が出る。さらにスト戦術を拡大、内・外房線を含め、千葉駅に乗り入れるすべての電車を対象とすることもあり得るとしている。」(例えば、千葉日報)と報道されていた。また、同じく同月一三日付け新聞各紙が同月一二日に同委員長が明らかにした内容として報道したところによると、「今回のストの拠点は千葉、津田沼に新たに成田が加わった三ヶ所。対象線区は総武快速・緩行に成田線が加わる。また内・外房線など千葉駅に乗り入れる各線でも千葉駅着と同時に乗務員がストに入る。」(千葉日報)とされ、「同労組によると、影響は総武線、成田線を中心に、久留里線、木原線を除く国鉄千葉管理局管内のほぼ全線に及ぶとし…今回は同労組の乗務員が九割を占める千葉駅以東も対象に含まれたため、影響はより大きくなる、としている」(朝日新聞)と報じられている。そして、動労千葉の機関紙である日刊動労千葉二一六七号(同月一四日付け)すらも、右同月一三日付け千葉日報の紙面をそのまま転載した上、「我々は、山場である一五日、ストライキを配し、闘うことを決定した。全組合員が一糸乱れず、怒りの第二波ストライキへ突入しよう。」と組合員に対して伝達していたのである。これらの情報から見る限り、同日に予定されていた争議行為は、動労千葉の全組合員が統一的に行うもので、拠点は千葉、津田沼、成田の三か所とされるとともに、それ以外でも千葉駅着と同時に乗務員がストに入り、もって千葉局管内のほぼ全線での混乱をねらったものということができるし、少なくとも当時の情報から見て右のように判断するのが当然であった。

そのような争談行為が実施された場合、ストライキの拠点とされた地域での混乱はいうまでもないが、右報道の示すように、内・外房線や総武本線等についても、千葉以東から発車した列車の乗務員が千葉駅着と同時に乗務を打ち切った場合の混乱もまた著しいものとなる。すなわち、千葉以東から乗務してきた乗務員のうち、仮に一部の者であっても、千葉駅など列車運行区間内のいずれかの地点で乗務を放棄した場合には、その列車の運転が中断されるに止まらず、その後同列車に乗務する予定の乗務員も、予定の列車が到着しないため乗務ができなくなり、また運転中断のやむなきに至った列車により同駅の線路がふさがれるため、後続の列車も途中で立往生して運行が不能になる。そのことから、同駅だけの混乱に止まらず、同駅に乗り入れる予定の他の線区の列車もすべて運行不能となり、乗り入れ線区と周辺一体の列車の運行は連鎖的にまひ状態となって、すべての地域に混乱が拡大し、場合によっては運行計画すら立て得なくなり、国鉄の業務が甚大な影響を受けることは必然である。しかも、争議行為が終了した後でも、乗務員や車両が各地に立往生したまま残されている状態となるので、これらの操配が難しく、かえって正常な運行を回復するのに多大の時点を要することになる。

右のような混乱を防ぐには、いうまでもなく乗務員が当日予定されている行路のすべてに確実に乗務することであり、またそれを国鉄が確認することである。しかも、動労千葉が当日いかなるストライキ戦術を採るのか、国鉄は、右の新聞報道等による以外知り得るすべがなく、その確実な内容は不明なのであるから、より一層、当日乗務を予定されている乗務員の一人一人について、すべての行路(当日不測の事態が生じて行路の一部が変更された場合を含めて)乗務することを確認する措置を取ることが必要となる。また、途中で停止した列車の運行を再開したり、あるいは、混乱を少しでも回避しようとするときは、右混乱に巻き込まれた列車の運転士だけでなく、その他の運転士の勤務を変更し、予定外の行路に乗車させる必要もある。従来、ストライキ当日の就労意思の確認については、現場の管理者らが口頭でこれを確認していた。その場合に、「組合の指示に従う。その時になったら考える。」等の意思表示がなされることがあった。これに対し、管理者が更に就労の意思がないという趣旨かなど、就労の意思の存否について明確にする必要があったが、必ずしもその確認が十分でなく、具体的に個々人の欠務時間を明確にして賃金計算を行う際など、事後の事務処理上も欠けることがあった。

以上のようなことから、国鉄は、当日の勤務について、争議を行っている動労千葉に所属するすべての運転士に対し、文書で当日の勤務を完全に履行する意思の有無を確認する必要が生じたし、また途中で予定が変更された場合にも、それに応ずる旨の確認を得る必要があったのである(したがって、木原線については、混乱が生じないと予測できた時点で確認を打ち切っている。)。国鉄がこの確認の有無を明確にするための文書が確認書である。もとより、当日の労務の提供について、そのすべてを行う意思であるか否かを確めることは、使用者が当然なし得るところであるし、また、その際どのような方法でこれを行うかも使用者が適宜これを指示し得るところであるから、確認書の提出を求めたことについて、原告らから非難されるべき筋合いは全く存在しない。

これに対し、動労千葉所属の運転士は、すべて一斉にこの確認書の提出を拒否したので、それらの者は、当日完全な労務の提供をする意思がないと見るほかはない。しかも、その一部については、動労千葉の支部役員や組合員らがこれに立会ったりなどして提出を拒否しているのであって、これらは、もはや集団的な労務拒否というほかはないのである。原告らの主張するような当該乗務員各個人の自由意思に出たものとなど、到底いえる状態ではなかったのである。

イ 同4(六)(6)イのうち、本件第二波ストライキ当時原告西本が銚子支部長の、原告鶴岡が勝浦支部長の、及び原告笹生が館山支部長の各地位にあり、いずれも第一五回定期委員会並びに昭和六一年一月九日、同月二三日及び同年二月七日の各支部代表者会議に参加していたことは認めるが、その余は争う。右原告らは、右委員会や支部代表者会議に参加するなどして本件争議行為に参画し、また、それぞれの支部組合員に対し、確認書への署名・押印を拒否するよう指導するなどして本件争議行為を推進した。

ウ 同4(六)(6)エないしオは争う。原告西本、同鶴岡及び同笹生は、乗務員の点呼の場等で乗務意思の確認を妨害し、それぞれただの一人からも確認書を出させないという組織的対応をさせた。

第三  証拠<省略>

理由

一国鉄の原告らの雇用等について

1  原告らがいずれも昭和六一年三月二三日まで国鉄に雇用され、千葉局の別紙1の「原告名」欄の原告らの「職種」欄の当該各項に掲げる職種で「所属」欄の当該各項に掲げる職場に勤務する職員であったことについては、当事者間に争いがない。

2  被告が昭和六二年四月一日にいわゆる国鉄改革により国鉄から移行した法人であること、国鉄ないし被告が、国鉄が原告らを解雇したと主張し、原告らが国鉄ないし被告に対して雇用契約上の権利を有する地位にあることを争っていることについては、当事者間に争いがない。

二国鉄の原告らに対する公労法一八条による解雇通知について

1  国鉄の事業形態

国鉄がいわゆる官営事業として鉄道等の事業を営む公共企業体であることについては、原告らにおいて明らかに争わないから、これを自白したものとみなす。

2  動労千葉の本件争議行為の実施と原告らの関与

(一)  再建監理委員会の国鉄改革に関する答申

次の角括弧内の事実については当事者間に争いがなく、<書証番号略>及び弁論の全趣旨を総合すると次の角括弧外の事実を認めることができる。

国鉄は、その経営する鉄道事業が破たんにひんしたため、昭和五四年ごろからその事業の再建が検討され始め、昭和五五年一一月には日本国有鉄道経営再建促進特別措置法が制定された。国鉄は、翌五六年、運輸大臣に対して経営改善計画を提出するとともに、職員に対して通達を出すなどして要員の適正化や職場規律の確立等を図ることによって国鉄の再建を促進しようとした。しかし、その実効が上がらないまま、昭和五七年七月には臨時行政調査会(第二臨調)が国鉄の分割民営化、一一項目の緊急措置、再建監理委員会の設置を内容とする第三次答申(基本答申)をし、それに対処すべく昭和五八年五月に制定された日本国有鉄道の経営する事業の再建の推進に関する臨時措置法(国鉄再建監理委員会設置法)に基づいて、同年六月に国鉄事業に関して効率的な経営形態の確立のための方策を検討することを任務とした再建監理委員会が発足した。

〔再建監理委員会は、〕政府に対し、同年八月と昭和五九年八月にそれぞれ緊急提言をした後、〔昭和六〇年七月二六日、〕国鉄の経営が悪化した最大の原因が公社という自主性の欠如した制度の下での全国一元の巨大組織として運営されている現行経営形態そのものに内在するという認識の下に、〔現行経営形態を改め分割民営化することを〕基本とし、併せて巨額の債務等について適切な処理を行い、過剰な要員体制を改め、健全な事業体としての経営基盤を確立した上で、国鉄事業を再出発させることを〔骨子とした〕「国鉄改革に関する意見―鉄道の未来を拓くために―」と題する〔最終答申をした。〕中曽根内闇は、これを受けて、同月三〇日、閣議において最終答申を最大限尊重する決定をして、国鉄改革に関する関係閣議会議を設置した。所管行政庁である運輸省も、翌三一日、国鉄改革推進本部を設置している。

こうして、最終答申後においてはそれに示された国鉄の分割民営化とそれに伴う諸施策の実現は、必定の情勢であった。

(二)  動労千葉の第一波ストライキ

次の角括弧内の事実については当事者間に争いがなく、<書証番号略>、証人中野及び同石井健治の各証言、原告大畑、同加納及び同髙柴各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の角括弧外の事実を認めることができる。

動労千葉は、再建監理委員会による最終答申が提出されると、これを「国鉄労働運動解体攻撃」であるとして強く反発し(動労千葉が国鉄分割・民営化及びこれに伴う諸施策に反対していたことについては、当事者間に争いがない。)、同年八月末ごろから、機関紙である「日刊動労千葉」等において「自らの闘いで国鉄労働者の明日をきりひらこう!未曽有の国鉄労働運動解体攻撃粉砕!反動・中曽根内閣打倒へ『国鉄』と『三里塚』を基軸に全労働者の怒りを結集し、総反撃に撃て出よう!」をメインスローガンとするキャンペーンを張り、同年九月九日から同月一一日までの三日間、組合規約上動労千葉の最高決議機関である大会(二三条)として、第一〇回定期大会を開催し、同大会において、闘いの目標に①「国鉄分割・民営化阻止!」、②「一〇万人首切り合理化粉砕」・「雇用安定協約完全締結」・「『61.3』『61.11』ダイ改阻止」・「基地統廃合―検修合理化反対」、③「運転保安確立」、④「国鉄労働運動解体攻撃粉砕!」・「労働組合無視―団交拒否糾弾!」・「一切の差別分断―不当処分攻撃を許すな」などを据え、その具体的展開として①「国鉄分割・民営化阻止、雇用安定協約完全締結、反合・運転保安確立」などを中心にストライキを含む第一波闘争を同年一一月下旬に設定し闘う、第一波闘争の戦術については闘争委員会に一任する。②第二次統一行動以降の具体的戦術については、機関を開催して決定すること等を決定した。同大会では、銚子支部長(正式の名称は「銚子支部執行委員長」であるが、通称に従って「銚子支部長」という。以下、同じ。)の原告西本が議長団の一人に選出され、議長団を代表して「厳しい情勢の中、激烈な討論を通して大会の成功をかちとろう」とのあいさつをしており、原告大畑は、議運委員として、全国から寄せられたげき電・メッセージを紹介している。なお、同大会には、三里塚芝山連合空港反対同盟から事務局長北原鉱治(以下「北原」という。)らも出席し、北原は、「動労千葉の闘いは全国の労働者の注目をあびている。分割・民営化の嵐に対し、座して倒れるより立って闘うことが求められている。…動労千葉の三里塚への決起が全国の労働者を三里塚に結集させている。いよいよ決戦に起つ動労千葉の仲間の闘いを全国の人々の闘いで支えなんとしても勝利させよう」と連帯のあいさつをした。

成田支部は、動労千葉本部の以上のような動静に呼応して、機関紙である「週刊火火(ほのお)」の右大会前日である同年九月八日に発行された第六五号で「定期大会の大成功を勝ち取れ!!」「今こそ支部一丸となって『首切り民営化』粉砕に起て!!」などと、同大会直後である同月一四日に発行された第六六号で「急げストライキ体制の構築を!!」「スト方針決定される!!」などとそれぞれ活発な宣伝活動をしており、同年一〇月一一日には第九回支部定期大会を開催し、支部長(正式の名称は「執行委員長」であるが、通称に従って「支部長」という。以下、同じ。)に森内猛(以下「森内」という。)を副支部長(正式の名称は「執行副委員長」であるが、通称に従って「副支部長」という。以下、同じ。)に原告大畑及び同髙柴をそれぞれ新たに選出し(原告大畑及び同髙柴が本件第二波ストライキ当時同支部副支部長であったことについては、当事者間に争いがない。)、書記長に昭和五六年以来書記長を勤める昭男を、執行委員に同年以来執行委員(教宣担当)を務める原告加納をそれぞれ再び選出した(本件第二波ストライキ当時昭男が同支部書記長、原告加納が同支部執行委員であったことについては、当事者間に争いがない。)が、森内は、「新執行部は、11月ストを全力で斗います。みんなも執行部についてきてほしい。」と就任のあいさつをしている。

動労千葉ジェット闘争支援共闘会議が昭和六〇年一〇月一三日に動労千葉の本部のある動力車会館で各界、友誼単産、組織の代表四〇名の参加の下に開催され、座長に北原を選び、動労千葉を代表して特別報告に立った中野の「第十回定期大会で、十一月第一波ストライキをはじめ、来年十一月まで数波のストライキで闘う方針を決定した。…全国の支援をお願いしたい」との決意表明を受けて全参加者による討論を通じ、昭和六〇年一一月一七日に日比谷野外音楽堂で開催される「11.17全国鉄労働者総決起集会」の圧倒的成功を勝ち取る。動労千葉ストライキ戦術決定後の支援防衛行動に全国動員で総決起する。名称を「国鉄『分割・民営化』阻止、三里塚労農連帯、動労千葉支援共闘会議」と改め発展させるなどを決定した。

そして、同日東京日比谷野外音楽堂で開かれた全国鉄労働者総決起集会で、中野は、同月二九日に総武緩行・快速線でストライキを実施することを宣言した。

同月二〇日に千葉駅前で配布された革命的共産主義者同盟、マルクス主義青年労働者同盟、国鉄委員会名で同時に「中核派」の名が大書されているビラには「動労千葉のストライキを断固防衛しぬく。」と宣言されていたが、中核派の機関紙である「前進」によると、その軍事組織である革命軍は、同月二一日未明、日帝・中曽根の国鉄分割・民営化阻止、動労千葉のストライキ闘争への弾圧粉砕の戦いとして、千葉局長・草本陽一、同局総務部長・今村雅弘及び同局労働課長・石井健治方にそれぞれ火炎瓶を投入している。

動労千葉各支部は、家族ぐるみ・地域ぐるみの総結集を目指して地域集会を主催していたが、同月一九日には銚子で、同月二二日には勝浦で、同月二四日には成田で、同月二五日には館山でそれぞれ地域集会が行われている。

以上のような経緯を経て、〔動労千葉は、同月二八日正午から翌二九日正午までの間、第一波ストライキを実施し、〕同月二八日には列車の運行を一部不能の状態にし、翌二九日には右ストライキを支援すると称するいわゆる過激派による信号ケーブルの切断や浅草橋駅に対する放火などの同時多発ゲリラが発生したにもかかわらずストライキを続行し(同日にいわゆる同時多発ゲリラが起きたことについては、当事者間に争いがない。)、首都圏における列車の運行を全面的に不能の状態に陥れた。列車に対する影響は首都圏全般に及んだが、千葉局管内の影響だけを見ても別紙3のとおりとなる。

そして、同日の新聞夕刊各紙の報道によると、同日の国電等の運行がまひ状態になったことによって私鉄、地下鉄等鉄道輸送ばかりでなく、道路交通も大混乱、大混雑になり、一二〇〇万人の乗客の通勤・通学等が影響を被ったとのことである。

第一波ストライキに対する世論の反発、批判、非難は厳しく、そのことは、例えば、読売新聞が同日には既に社説で「迷惑至極の千葉動労のスト」を取り上げていたが、同月三〇日には日本経済新聞が社説「国電止めた過激派を徹底追及せよ」の中で「このような事件を誘導した千葉動労の二十四時間ストも厳しく批判したい。」と、東京新聞が「言語道断の国電ゲリラ事件」のなかで「これを誘発した千葉動労の違法ストは、全く言語道断だ。」とそれぞれ言及し、サンケイ新聞が主張「労組は過激派に毅然たれ」で「千葉動労が労働組合として社会的に承認されるかどうか、疑わしい。」とまで論断していることからもうかがうことができる。

そして、第一波ストライキのスローガンの一つになっていた雇用安定協約締結は、動労千葉の余剰人員調整策への協力の程度が低いことを理由にして国鉄当局から拒まれ、同年一二月一日からは無協約の状態になった。

(三)  本件第二波ストライキに至る経緯

次の角括弧内の事実については当事者間に争いがなく、<書証番号略>、証人中野、同山口、同石井健治、同髙野大三郎及び同今村雅弘の各証言、原告大畑、同岩井及び同髙柴各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると次の角括弧外の事実を認めることができる。

ところが、動労千葉は、そのような乗客、利用者の多大な迷惑や世論の厳しい反発、批判、非難を無視ないし軽視し、かえって、同年一二月九日には千葉市・市民会館で組合員を集めて「11.28〜29スト総括集会」を開いて、反弾圧・反処分第二闘争へ決起していく組織強化に取り組んだ。

成田支部も、同年一二月七日の火火で「我々動労千葉は、国鉄分割・民営化阻止へ向けた第一波ストをあらゆる一切のスト破壊策動をも粉砕し、勝利した。」とした上、「更なる団結力で第二波・第三波ストをかちとろう!」と第二波ストライキ等の実施を扇動した。

そして、〔動労千葉は、同月一六日、〕第一〇回定期大会における・第二次統一行動以降の具体的戦術については機関を開催して決定するとの決定に基づいて、組合規約上大会に次ぐ決議機関である委員会(二五条)として第三回〔定期委員会を開催し、第一波ストライキが津田沼及び千葉運転区を先頭とする組合員全員により貫徹されたとして、その成果を宣伝するとともに、〕「11.28〜29ストライキで切り拓いた偉大な地平線を打ち固め、反弾圧・反処分、第二波闘争を皮切りに、〔全国鉄労働者の怒りを再結集し、〕『分割・民営化』阻止!10万人首切り粉砕!運転保安確立!」をスローガンに「全国鉄労働者の〔ゼネスト決起を実現するため、反弾圧・反処分、第二波闘争を皮切りに、第二、第三波の闘いに決起する方針」を〕満場一致で〔決定した。右委員会には〕委員として〔昭男、原告大畑、同西本、同鶴岡及び笹生が出席し、〕昭男は、発言している。

また、〔動労千葉は、同年一二月二〇日、〕不当処分粉砕、〔動労千葉緊急総決起集会を開き、〕第一波ストライキに対する不当処分について一般職員まで解雇などで踏み込んでくれば、年末年始といえども第二波闘争と位置付けて断固闘うことを確認した(右委員会の決定と同様の確認をしたことについては、当事者間に争いがない。)。

国鉄当局は、〔同年一二月二三日、動労千葉に対し、〕「六一―三時刻改正に伴う要員関係」として、〔昭和六一年三月〕三日〔に実施予定のダイヤ改正に伴う要員の見直しを提案した。その内容は、〕右ダイヤ改正に伴い、首都圏管内の検修基地の集約等による業務運営の効率化を図って、〔動力車乗務員関係は〕構内作業体制の見直しにより〔四名の減員とし、検修要員関係は検査周期延伸等〕による検修作業体制の見直しや士職との兼掌化等〔により一二七名の減員とし、構内要員関係は〕構内整備係の見直しや構内作業体系の見直し等により〔二三名の減員とするものであった。〕

〔動労千葉は、昭和六一年一月九日、〕第五回〔支部代表者会議を開催し、原告大畑、同西本、同鶴岡及び同笹生も出席して、〕「不当処分粉砕、〔国鉄『分割・民営化』阻止、〕十万人首切り合理化・〔『61.3ダイ改』阻止、『業務移管』反対、〕運転保安確立、検修合理化反対、国鉄関連法案上提反対」〔を目標とした闘争を行い、その戦術の細部は執行委員会に任せること〕とし、「各支部は、以上の闘いに向け、支部執行委員会、職場集会、個別オルグを早急に開催すること」等〔を確認した。〕

千葉局は、〔同年一月一四日、動労千葉に対し、〕国鉄首都圏本部から提示された〔乗務行路の受け持ち変更を提案した。その内容は、〕同年三月の京葉線の蘇我駅・西船橋駅間の部分開業にも関連する暫定的な首都圏管内の乗務分担の見直し結果に基づいて、61.3ダイヤ改正に合わせるもので、〔これまで千葉局の担当してきた乗務行路のうち、総武緩行線については津田沼電車区の担当乗務キロのうち約三〇〇〇キロを東京西局に、総武快速線については千葉運転区の相当乗務キロのうち約二〇〇〇キロを東京南局に、常磐、我孫子線については成田運転支区の担当乗務キロのうち約二〇〇〇キロを東京北局にそれぞれ受け持ちを変更し、これに伴い、千葉局管内の乗務分担も一部変更するもので、〕右乗務行路の受け持ち変更に伴って、動力車乗務員関係では機関士四名の増、〔電車運転士七四名の減〕、列車乗務員関係では三名の増〔というものであった。〕

動労千葉は、同年一月一四日、国鉄及び千葉局に対し、申第一七号をもって、当局の昭和六〇年一二月二三日の提案は、「『効率化』の名のもと、国鉄の最大の使命である安全輸送を無視し、要員削減のみを目的とするものである。…従って、今次提案は断じて容認できるものではなく、撤回を強く求めるものである。」との立場から一九項目について申入れをし、団体交渉において誠意をもって解決することを要望した。

千葉局は、昭和六一年一月一七日、右申入れに対し、「現在の国鉄のおかれている状況から業務運営の効率化は必要不可欠のものであり、そのため、各分野にわたって作業体制の見直し、機械化、装置化等の近代化合理化を実施していく考えです。これら一連の内容は安全輸送を考慮した上で実施していくべきものであると認識しています。」などと右申入れ事項ごとにかなり懇切に回答又は見解を示した。

動労千葉は、同日、国鉄及び千葉局に対し、申第一八号をもって、千葉当局の同月一四日の提案は、「当局がこの間の合理化の中で、自ら主張してきた『効率化』などという面からでさえ、何等具体的、合理的理由を説明できないものであり、千葉局の余剰人員を生みだすことだけを目的とした施策であり、全く理不尽極まりないものである。動労千葉は、今次提案を断じて容認できない。強く撤回を求めるものである。」との立場から四項目について申入れをし、誠意をもって団体交渉により速かに解決することを要望した。

千葉局としては、乗務行路の受け持ち変更は国鉄首都圏本部長の権限で行われる管理運営事項であって、動力車乗務員の勤務協定の範囲内で行われているのであるから、一々労働組合との合意を必要とするものではないが、要員数の変更もあるので、動労千葉に対する提案という形式を取ったものに過ぎないと考えていたものの、同月二三日、右申入れに対し、「千葉局運転関係の要員需給状況については電車関係の士職が現時点相当数の過員状況でありますが、最近の動きとして、共済年金法改正に伴う高令者層の退職動向、官公庁をはじめとした他企業への転出等、要員状況に大巾な変化をもたらす要素が生じてきています。このため、今後の要員需給見通しが非常に困難な状況にあります。」「今回の施策内容については、首都圏管内全体にわたる検修基地の集約、車両の配置変更及び乗務行路の変更であり、千葉局の運転業務についても見直しを実施したものであります。なお、効率についても局として引続きその向上に努める考えです。」などと右申入れ事項ごとに相当に丁寧な回答又は見解を示している。なお、千葉局は、動労千葉の右両申入れでの要望に応じて、同年三月の時刻改正に伴う要員関係等について相当回数にわたる団体交渉等を行った(千葉局が動労千葉と同年二月六日、一三日、一四日に団体交渉をしたことについては、当事者間に争いがない。)。

右の千葉局の回答又は見解の提示に先立つ〔同年一月二一日に開催された第一四回執行委員会では第五回支部代表者会議で確認された闘いの目標達成に向けて、不当処分通告から同年三月三日の「61.3ダイ改」移行までの約一か月間、「不当処分抗議、仕業移管のための線見阻止を皮切りに、『ダイ改』交渉、国会審議の山場や総評・県労連の取り組み等を節とし、」「非協力・順法闘争、指名スト、ストライキ等あらゆる戦術を駆使し、政府・国鉄当局の無法な弾圧をはね返し、長期・強靱かつ柔軟に戦術を行使して闘う」こととし、「戦術の細部は当局計画が明らかになった段階で執行委員会で決定する」ことをも含めた決定をし(右執行委員会で今後の戦術の細部について決定したことについては、当事者間に争いがない。ちなみに、右にいう「線見」とは、前記の乗務行路の受け持ち変更に伴い、東京三局に所属する電車運転士等がそれまで乗務したことのない行路において電車等を運転するために事前に右行路の線路の状況等を掌握する訓練のことである。)、〔同年一月二三日に開催され、原告西本、同鶴岡、同笹生〕ら〔の出席した〕第六回〔支部代表者会議〕でこれを伝達・確認した(右代表者会議が右執行委員会の右丸括弧内の決定を受けて開催されたことについては、当事者間に争いがない。)。

〔右確認を経て、動労千葉は、同月二四日、「各支部は、不当処分粉砕、業務移管・線見阻止、検修合理化阻止、第二波闘争勝利へ向けて、ストライキを含むあらゆる戦術を行使できる万全の準備体制を確立すること」などという指令第一二号を発した(ちなみに、右にいう「業務移管」は、前記の乗務行路の受け持ち変更とほぼ同義である。)。また、動労千葉は、同月二八日、この指令内容を付加する指令第一三号を発する〕かたわら、国鉄及び千葉局に対し、申第一九号をもって、「『61.3ダイ改』に関わる労働条件について、妥結するまで業務移管に関わる線見訓練は中止すること」と申第一七、第一八号について誠意をもって解決することについて申入れをしている。

国鉄は、同年一月二八日、第一波ストライキ参加者に対し、同年二月六日付けをもってする解雇二〇名を含む一二〇名の処分を通知し、動労千葉は、右通知に対抗すべく同年一月二九日から非協力・順法闘争を開始した。この順法闘争に対して、産経新聞は、同年二月一日の主張で「わたしたちは当局のとった措置は当然だったと思う。」と国鉄の右処分を支持したばかりでなく、「中核派のゲリラで復旧を急いでいるのに、千葉動労はなおストを続行した」点について「千葉動労がどんな理をならべようと労働組合なのか、疑問をもたざるをえない。」などとして「千葉動労の組合性に疑問」を述べ、翌二日には「千葉動労に厳しい処分は当然」とする読者の声を掲載している。

それにもかかわらず、〔動労千葉は、同日、千葉市内において、大量不当処分粉砕・業務移管攻撃阻止・検修合理化粉砕・「六一・三ダイ改」阻止、二・二総決起集会を開催し、その後デモ行運をして気勢を上げた。〕

ちなみに、千葉局は、同年一月三〇日、動労千葉に対し、「61.3ダイヤ改正に伴う労働条件等については、先般提示した通りであります。なお、時刻改正を円滑に実施していくため、一部事前作業が発生しますが、これらについては協力されたい。」申第一七、第一八号については「一定の回答又は見解を述べてきましたが、質問を受ける中で回答をしていきたいと考えています。」との今後も団体交渉に応ずる含みのある申第一九号に対する回答又は見解を明らかにしていた。

〔動労千葉は、同年二月三日、執行委員会を開催し、「地上勤は、ダイ改の山場で(順法)強化する、ダイ改の山場に乗務員を含むストも辞さず闘う」などの点を決定した。〕

国鉄当局側は、同月四日以降、線見を実施した。

そこで、〔同月六日に開催された〕第一七回〔執行委員会では、業務移管阻止・線見強行阻止等を目標に、同月一二日以降非協力・順法闘争の戦術強化、同月一四〜一五日にストライキを配置することなどが決定され、次いで同月七日に開催された〕第七回〔支部代表者会議でこれについての確認がなされた。右支部代表者会議には、原告西本、同鶴岡及び同笹生が出席している。)

〔これに基づき、動労千葉は、同月八日、「各支部は、二月一二日以降当分の間、非協力・順法闘争の戦術を強化すること。各支部は、二月一四日以降、何時いかなる時も、ストライキに突入できる準備体制を確立すること。」等の指令第一四号を発した。〕

同月九日の新聞各紙は動労千葉が同月一四日から一五日の間に二四時間ないし四八時間のストライキを行うことを報じたが、千葉日報によると、右のことは同月八日午後動労千葉本部で中野が記者会見して述べたものであるとした上、スト拠点は千葉、津田沼及び成田の三か所で、前回の総武線快速、緩行に加え成田線の三線区がスト対象になるが、成田線に乗り入れている常磐線や鹿島線、総武本線にも影響が出る、さらにスト戦術を拡大し、内、外房線を含め、千葉駅に乗り入れるすべての電車を対象とすることもあり得るとしているということであった。

他方、同月一〇日、動労千葉執行委員長中野に対し、国鉄総裁杉浦喬也は、動労千葉の実力による線見阻止や同月一四、一五日両日にわたるストライキの計画に触れながら、「違法な闘争を直ちに中止するよう重ねて厳重に申し入れるとともに、違法行為に対しては、厳しくその責任を追求することはもとより、貴組合及び組合員は、民事上の責任をも免れないことをここに警告する。」との申入れを、千葉局長草木陽一も、動労千葉の右ストライキ計画に触れながら、「いうまでもなく公共企業体における争議行為はいっさい禁止されており、争議行為に対する世間の批判は厳しく国民・利用者の協力を得るよう努力しなければならない時期であり、国民から国鉄労働のあり方が注目されている現状である。このようなとき、国民・利用者の迷惑をかえりみず、伝えられるような違法な争議行為をすることは、国鉄労使への非難がたかまることは必定であり、到底ゆるされるものではない。貴組合が事態を正しく認識し、違法な闘争計画を直ちに中止するよう厳重に申し入れるとともに、違法な行為に対しては法に照らして厳重に措置せざるを得ないことを重ねて警告する。」との申入れをそれぞれ行った。また、右草木は、同月一二日、組合員に対し、同様に動労千葉の右ストライキ計画等に触れながら、「国鉄をとりまく諸情勢、千葉局のおかれた恵まれた経営環境等を考慮し、かつ家族の皆さまの切々たる声にも耳を傾けられ、まさに自らの問題として自らの決断と責任において慎重かつ勇気ある行動をとられることを切望するものであります。」との要望をした。

〔動労千葉は、同日に開催された〕第一八回〔執行委員会で、〕業務移管阻止―線見強行阻止、検修合理化阻止・運転保安確立を掲げて〔同月一五日に津田沼地区、千葉地区及び成田地区を拠点とする始発から終電までのストライキを行うことを決定した。〕

〔同月一三日付け及び翌一四日付け新聞各紙に報道されたところによると、対象線区は総武快速・緩行及び成田線が中心だが、内房線、外房線等千葉駅に乗り入れる各線でも、千葉駅着と同時に乗務員がストライキに入るとされていた。〕例えば、同月一三日付けの千葉日報は、動労千葉は一五日始発から二四時間ストを行うことを一二日夜動労千葉本部で中野が記者会見をして明らかにした、今回のスト拠点は前回の千葉及び津田沼に新たに成田が加わった三か所で対象線区は総武快速、緩行に成田線が加わる、また内、外房線など千葉駅に乗り入れる各線でも千葉駅着と同時に乗務員がストに入ると報道し、同月一四日付けの千葉日報は、「あす千葉動労スト―千葉以東全面マヒ?」の見出しの下に、千葉局では、千葉以東の木原線と久留里線を除く他の管内全線は千葉動労が―電車が千葉駅に着いた時点でスト拠点の各運転区、電車区所属以外の乗務員であっても指名ストに入る―としていることから、早朝の一部電車を除き運転の見通しが立たないとしている旨の報道をしていた。そして、同月一四日付けの日刊動労千葉は、右の同月一三日付けの千葉日報の記事をそっくりそのまま転載している。

〔右ストライキ当時拠点支部の一つである成田支部の青年部長であった原告岩井〕は、同月一四日午後五時四四分ごろ、成田運転支区庁舎の支区長室に入り込み、「われわれが集会をやろうとしているのに、三階の助勤者がマンガ本を見ているが、なんだあれは。外へ出せ。」と大声で文句を言い、同支区長の「外へは出せない。」との返事に対して「青年部を説得できない」などと言っていたが、他の組合員らに連れ出された。森内、昭男、原告大畑、同髙柴及び同岩井を含む同支部組合員ら約六〇名は、同五時五〇分ごろから、同庁舎玄関前において、総決起集会をした。〔同支部書記長の昭男〕は、右集会の司会を務めている。同支区長は同六時〇九分ごろ〔同支部副支部長の原告髙柴〕に対して口頭及び書面をもって集会中止を申し入れたが、右集会は、そのまま続行された。原告岩井は、同六時一九分ごろ、右集会であいさつをし、集会所から助勤者を出せなどと言った後、青年部は最後まで闘うとの決意表明をし、右集会終了直後の同六時二八分ごろ、業務移管を粉砕するぞ、ストライキで粉砕するぞ、一〇万人首切り粉砕、青年隊は闘うぞなどとシュプレヒコールの音頭を取った。次いで青年隊が先頭になって右集会参加者はデモ行進に移り、デモ行進終了後シュプレヒコールをしている。右ストライキにおいて参加者等の行為等を現認する任務に就いていた千葉局総務部人事課勤務の根本重代が同九時一五分ごろスト対策本部に入ろうとした原告髙柴を写真撮影したところ、原告髙柴は、右根本に対し、「この野郎写真撮りやがって、ただではおかないぞ。」とすごいけんまくでどなりつけた。西森、森内、原告大畑及び同髙柴は、同九時三三分ごろ、同支区長室において、同支区長に対し、同日の八四三M(我孫子発成田行き最終電車)の三両編成(通常は一〇両編成)、明一五日の線見列車の運転、着線変更と入れ換えについて抗議をした。右抗議には、後に昭男も加わっている。青年部を主体とする組合員約二〇名も、同月一四日午後一〇時三九分ごろから、同庁舎階段下や事務室で、同支区長を取り囲んだりして右八四三M三両編成運転について大声でしつように抗議をしたり、暴言を吐いたりした。右組合員らは同一一時二八分ごろ右事務室を引き上げて同庁舎二階乗務員室に入ったが、その中に昭男、原告大畑、同髙柴及び同岩井がいた。しかし、同支区長の翌一五日午前一時三七分ごろの退去通告によって原告髙柴ほか六名が、同一時五二分ごろの退去通告によって昭男、原告岩井ほか四名が右乗務員室からそれぞれ退去した。

千葉局は、同月一四日午後七時三〇分からの団体交渉で、動労千葉に対し、前記61.3時刻改正に伴う要員関係について修正提案をして譲歩する意向を示し、ストライキを思い止まるように説得した。しかし、動労千葉は、右修正提案を乗務行路の受け持ち変更については何ら誠意ある回答ではないなどとして、千葉局に対し、再度検討することを申し入れ、同年二月一五日午前二時一〇分に再開された団体交渉で、千葉局がこれ以上の譲歩はできない旨の回答したことを受けて、動労千葉は、団体交渉を打ち切り、〔同日、指令第一五号で、〕津田沼、千葉運転及び成田の各支部及び関係支部は〔同月一五日始発より〕所定方針通り全乗務員を対象とする〔ストライキに突入する旨の指令をした。〕動労千葉は、本件第二波ストライキに当たって、事前に国鉄当局に対してその予定内容等を告知していない。したがって、国鉄としては、動労千葉の機関紙や新聞等の報道その他各種の情報を元に、その内容を予測し、混乱の防止や輸送の確保等の処置を講ずるほかなかった。

なお、動労千葉は、当時は千葉県内を含む首都圏の大学等の受験時期であったことから、千葉局に対し、内房線及び外房線などについては朝夕それぞれ数本の受験列車を運行させることを申し入れた。千葉局は、右申入れを一応は検討したが、右受験列車を運行するには相当規模の要員を必要とするがその確保のめどが立たないし、当局側が少数の列車を運行することはかえって混乱を招く危険があり、それらのこともさることながら、右申入れを受け入れることが結果的に動労千葉の本件第二波ストライキを是認したことになるおそれがあると判断し、右申入れを受け入れなかった。

(四)  本件争議行為の態様と原告らの言動

(1) 次の角括弧内の事実については当事者間に争いがなく、<書証番号略>、証人中野、同石井健治、同髙野大三郎及び同今村雅弘の各証言、原告大畑、同西本、同鶴岡、同笹生、同岩井、同加納及び同髙柴各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の角括弧外の事実を認めることができる。

ア 〔動労千葉は、同月一五日、津田沼地区、千葉地区及び成田地区において、始発時から本件第二波ストライキに入った。〕

イ 成田支部では、本部派遣執行委員西森が同日午前三時一一分ごろ成田運転支区長室において同支区長らに対し、「今日始発時から動労千葉は本線乗務員を対象にストライキに突入する。」旨通告したが、西森の右通告には〔同支部副支部長原告大畑及び同支部書記長昭男〕が同道している。そして、同四時二四分ごろから同六時一〇分ごろまでの間に、山倉広一ほか五名が点呼に出勤せず退庁した。原告大畑・同岩井ほか五名の者が同六時五六分ごろ成田駅一番線に停車中の同七時発の七五二Fの運転台付近に行き、国労所属の乗務員に対して暴言を浴びせたが、やや遅れて原告髙柴もそれに加わっている。組合員三九名が同八時二九分ごろ同運転支区庁舎玄関前に集まり、左腕に組合腕章をした原告大畑とほか一名が玄関内に入り、警備中の公安員や当局の現地対策班員らに対してば声を発した上、同支区長が本日の勤務者を確認する旨告げると、原告大畑は、「まだ勤務になってねえんだよ。」「確認すっこねえんだよ。この野郎!手前はこれからずっとやるのか。この野郎!」などとどなり散らすなどして同支区長の指示に従わず、同支区長は、結局当日の勤務者を確認できなかった。〔同九時から同日午後四時一六分までの出勤予備者であった〕原告加納は数名の予備勤務者ともに同日午前九時〇一分ごろ同運転支区当直室において当直助役の高崎某から点呼を受けたが、右高崎が「指示する全行路に乗務しますね。乗務しなければ就労の意思がないものとして否認扱いになります。」と告げると、〔原告加納が行程を示すように要求し、〕他の予備勤務者らも、「じゃ、どの行路に乗務するんだよ。言えよ。」「出勤予備というのはどういうことなんだよ。」「指示してみろよ。」などと言い、同支区長が「現場長として就労意思の確認をしているのですから、あいまいな答では認められない。」旨を伝えると、右予備勤務者らは、「これからこんな扱いをするのか。」などと押し問答をし、右高崎ないし同支区長の再三にわたる乗務意思の確認に対して明確な意思を表示しないまま、全員が同九時一五分ごろ「いいんだよ。」と言いながら右当直室を出て行った。原告岩井ほか一三名の組合員らは、同九時四〇分ごろから、同駅一番線に停車中の同一〇時発の快速電車一〇九〇Fの運転台付近に行き、運動台にいる国労所属の乗務員に向かってば声を浴びせるなどしていやがらせをし、原告髙柴は、同九時五〇分ごろ、同庁舎二階乗務員室から、右乗務員や警備員に対し、ハンドマイクでば声を浴びせた。白ヘルメット、白マスクを着用していた者もいる組合員ら十数名が同日午後〇時四一分ごろから同駅一番線に停車中の同一時発の快速電車一三三八Fの運転台付近で国労所属の乗務員に向かってば声を浴びせるなどしていやがらせをしていたところ、原告髙柴は、同〇時四五分ごろ、右乗務員室から、右乗務員に対し、ハンドマイクで「国労組合員下りてこい。国労組合員、お前のやっていることはスト破りだ。分かっているのか。許さないぞ。」などと叫んでいやがらせをした。同支区長が同二時一九分ごろ右乗務員室に退去通告をするために出向いたところ、入口ドアに「スト決行中」と書かれた紙が貼ってあり、右ドアを開けると、白ヘルメット、白マスクを着用した原告岩井など同支部青年部員ら一三名が赤旗ざお一二本を持って退出を始め、同庁舎玄関前に整列した。原告岩井は、二四時間ストライキを貫徹する。青年隊は、この闘争を大勝利するため最先頭で闘っていきたいと思うといった趣旨のあいさつをした後、「業務移管粉砕、このストライキで粉砕するぞ、第二波で阻止するぞ、青年隊は闘うぞ」とのシュプレヒコールの音頭を取り、次いでデモ行進の指揮をしたりした。森内は、同二時四五分ごろ、同支区長に対し、運転本部長が西森に対して出勤点呼の際予備勤務の就労の意思の表示の有無がなかったので乗務員室にいる予備勤務者から再度それを確認する旨を告げたことについて抗議し、西森及び昭男も右抗議に加わった。

ウ ところで、千葉局においては、電車乗務員は、出勤したときは名札を転換するか又は出勤時刻記録簿に区長が指定した事項を記入の上、健康及び休養状態を申告して出勤点呼を受け、携帯時刻表(仕業票を含む。)を受け取るものとされ、予備に指定された乗務員が出勤したときもそれに準じて出勤点呼を受けるものとされている(千葉鉄道管理局電車乗務員執務基準規程四条、五条、電車乗務員執務標準について(昭和五五年九月一九日千転電第一四二号各関係区長宛て千葉鉄道管理局長通知)第一章第一節1)。乗務員は、出勤点呼を受けたのち、達示類から必要事項を乗務日誌に記入し、携帯時刻表を提示の上、正しい姿勢をとり(気をつけをし)、「第○○仕業、点呼願います。」と言い、執務上必要な事項(仕業票記事を含む。)を読み上げるのであるが、乗務行路、運転時刻及び運転線路の変更内容、徐行関係、信号・閉そく関係その他の注意事項を口頭で述べ、列車運転上、特に注意を受けた事項は、確認の上乗務日誌に要点を記入し、電車の状態について説明を受け、注意事項について復唱し、乗務日誌を提示して区長のなつ印を受ける。そして、電車の出区点検をするときで管外運用となるものは乗継通告券を携行し、時計整正をして「行ってまいります。」と言って敬礼をすることにより仕業点呼を受けるものとされている(同規程六条、同通知第一章第一節4)。しかし、ストライキ時のように平常時と異なる事態が生じたときは、右の出勤点呼ないし仕業点呼等が正常に行われず、そのため乗務員の就労意思の有無の確認を十分にできない事態が生じていた。例えば、以前に動労千葉のストライキ当日のストライキ拠点となった運転区、電車区などにおける組合員である乗務員、特に予備に指定された乗務員(予備勤務者)の就労意思の有無の確認で、当局の現場の管理者らが口頭でそれを行い、右乗務員が「組合の指示に従う。」「そのときになったら考える。」などといった意思を表示したことがあり、第一波ストライキのときも、同じような事態が生じたが、右管理者らが自らの確認が不十分であることから組合の指示に従うということを就労の意思がないと判断してよいかちゅうちょし、そのような意思を表示した乗務員に対して明確に勤務の認証である「否認」又は「不参」(職員勤務基準規定二四九条によれば、否認とは、承認を与えていない遅参、欠務又は早退の時間の欠勤をいい、不参とは、無届又は承認を与えていない日の欠勤をいう。)ないし賃金カットを通告していないため、事後処理(欠務時間の認証)に支障を来していた。そこで、千葉局は、昭和六一年一月中旬ごろから、予想される第二波ストライキにおいてこのように混乱を生じないようにするべく、就労意思の有無を明確にする方法を検討していた。前記の成田運転支区において当直助役の高崎某が予備勤務者に対して「指示する全行路に乗務しますね。乗務しなければ就労の意思がないものとして否認扱いになります。」と通告したのは、このような就労意思の有無を明確にする一方法である。これに対し、外周三区では書面による方法が採られた。前記のとおり、動労千葉は全支部に対して同年二月一二日以降非協力・順法闘争を強化し、同月一四日以降ストライキの準備をさせていたが、国鉄当局に対しては右ストライキにおいてどのような戦術を採るのか一切通報しなかったこともあり、当局は、日刊動労千葉や新聞その他の情報に基づいて右ストライキの具体的な規模、内容等を予測し、対応策を立てざるを得なかった。そして、右情報によれば、内房線、外房線等千葉駅に乗り入れる各線でも同駅着と同時に乗務員がストライキに入るとされていたので、当局は、それが実施されると、同駅における列車の収容能力が限られていることから、同駅に乗り入れる予定の列車はことごとく途中において運行不能となって、同駅を中心に乗り入れ線区とその周辺一帯の列車運行は連鎖的にまひ状態に陥り、乗客を巻き込んだ大混乱になることが予想されるところ、動労千葉が右ストライキでそのような千葉局管内のほぼ全線を混乱させることをねらっているのでないかと判断した。当局は、さらに、動労千葉が外周三区の組合員にいわゆる出勤戦術(ストライキを実施している労働組合の組合員で、ストライキにより列車の運行が不能となった後に出勤した者が点呼を受け、ストライキ参加の有無について明確に意思を表示することなく、そのまま滞留することによって、否認あるいは不参という扱いを免れること)を採らせることもあり得ると考えた。そこで、〔当局は、〕予想される重大な事態を防止するため、〔組合員である乗務員に対し、当日予定されている乗務行路全部について、また、〕途中で停止した列車の運行を再開したりあるいは混乱に巻き込まれた列車の運転士その他の運転士の勤務を変更するために〔予定外の行路にも乗務するか否かの意思を確認する書面の提出を求めることにし、〕横書きで

「       昭和 年 月 日

長殿

所属

職名

氏名 印

確認書

私は、昭和  年  月  時  分 私の意思で就労することといたします。

ついては、組合のストライキ指令に従うことなく、駅(区、所)長の命令する業務に従事いたします。」

という書面を作成し、乗務員に対して右書面に署名押印した上提出するように求め、提出の意思がないと認めた者に対してはその時点で「否認」を通告し、同時刻以降所定勤務終了時刻又はストライキ終了に伴う復帰時刻まで欠務として取り扱うことにした。そして、千葉局は、同年二月一四日夜、各新聞社に対し、以上の方針のうち、外周三区の組合員である乗務員に対して同月一五日の点呼の時点で千葉乗り入れ時にストライキに入るかを確認すること、スト対象となることが判明した者については、上りから乗務させない扱いとすることを発表し、動労千葉の役員に対しても、団体交渉の席上において書面による就労意思の確認を厳格に行う旨を伝達した。同日の千葉日報は、「千鉄局の今村総務部長は十四日夜、千葉動労との交渉の経緯などについて…内、外房、総武線などの乗務員には十五日朝の点呼で千葉乗り入れ時に指名ストに入るか確認、スト対象運転士は上り電車から乗務させない…と説明した。」と報じた。なお、千葉局は、外周三区において組合員である乗務員が確認書への署名押印を拒む可能性が高いと判断して、右乗務員が就労しないことを前提とした非常ダイヤを組み、また利用者に対して外周三区では全面運休の可能性もあるので、本件第二波ストライキ当日の電車の利用を見合わせるよう呼び掛けるなどしている。

エ 〔銚子支部長の原告西本〕は、動労千葉本部から、同支部の組合員で千葉駅に乗り入れる列車の乗務員は同駅で本部の指示を受けるようになる旨の指令を受けていた。銚子運転区電車運転士で組合員の境の勤務は、同月一五日は自区泊まりで始発の二五仕業に乗務することであった。自区泊まりで始発の二五仕業というのは、同月一四日午後四時〇六分に銚子を出発し、千葉で折り返して同一〇時〇六分に銚子に戻り、銚子泊まりで列車番号三二四Mで翌一五日午前四時五一分再び銚子を出発して千葉から列車番号一〇〇一Mで折り返して同九時一一分に銚子に戻る電車運転のことで、出勤同月一四日午後三時三六分、退庁同月一五日午前九時三六分となる。境は、同月一四日に通常の点呼を終了した。そして、翌一五日午前三時五五分ごろ起床し、乗務員詰所に待機していたが、同運転区当直助役滑川及び区長高橋から点呼をするから来るように言われ、同四時一〇分ごろ当直室に行った。滑川が境に対して当日の乗務内容である列車番号三二四M及び列車番号一〇〇一Mの双方に乗務するかを尋ねたところ、境は、列車番号三二四Mについて乗務する旨を繰り返すのみで、ストライキ拠点になっている千葉駅に入った後列車番号一〇〇一Mに乗務するか否かについては全く回答しなかった。滑川が千葉地区でストに入っているから、帰りも乗務することを確認しなければ乗せることはできないと言い、高橋がこれについて乗務すると明言しなければ否認となる旨告げたのに対し、前日一四日午後一一時ごろから同支部に来ていた本部執行委員の片岡や他の組合員とともに右当直室に入り込んでいた原告西本は、境には乗務する意思があるのに否認するのはおかしい、三二四Mの発車時間であるから境にハンドルと運転カード(当日勤務の運転時刻表)を渡せと要求し、他の組合員らも「銚子はスト拠点じゃない。乗せろ。」などと言い、高橋の右当直室からの退去通告にも容易に従わなかった。境は、当局側の制止にもかかわらず、運転カードとハンドルを持って同運転区庁舎を出た。当局は、通常は銚子駅一番線から発車する列車番号三二四Mを運休にし、同一番線には国労所属の組合員で二六明け仕業の井上博夫の乗務する同駅同月一五日午前五時一三分発成田線回り千葉行の列車番号四二六Mを留置させていた。高橋は、同運転区庁舎を出た境を追って境と運動カードを奪い合い、右列車番号四二六Mの運転席に座って出区点検していた境から運転カードを取り上げ、ブレーキ弁ハンドルを抜くなどした。千葉局は、外周三区の組合員である乗務員が確認書の提出を拒否した場合を想定したダイヤを組んだが、原告西本、境らは、そのころ、そのことを発見し、駅長及び高橋に対して抗議をするなどしている。滑川は、同五時二〇分ごろ、組合員であり二仕業として同駅同五時五二分発千葉行の列車番号四二八Mに乗務することになっていた川口和義に対して、行路を読み上げた後確認書への署名押印を求めた。それに対し、片岡が抗議し、原告西本も「組合員が乗務意思を表明しているのに、一方的に否認扱いをするな。」と要求した。原告西本は、その後非番であったため控室に引き上げたが、点呼に際して確認書への署名押印を求める滑川と確認書の趣旨の説明を求める組合員らの間で押し問答が続き、点呼が進行しなかったので、当局側から点呼の現場に呼ばれた。原告西本は、その際、滑川に対し、組合員が署名押印するか否か自分で判断できるよう単に確認書を渡すだけでなく中身が分かるように読み上げるべきだと要求するなどした。

〔勝浦支部長〕(正式の名称は「勝浦支部執行委員長」であるが、通称に従って「勝浦支部長」という。以下、同じ。)〔の原告鶴岡〕は、同日は非休(職員勤務基準規程によると、非休とは非番日又は特別非番日のことである。)で、午前四時二〇分前から勝浦運転区の乗務員詰所におり、同運転区当直助役が組合員で勝浦駅を列車番号二二四Mで同四時五〇分に千葉駅に向けて出発し同駅から列車番号二三五Mで折り返し同日午後〇時〇一分三〇秒に勝浦駅に戻る五一仕業に乗務する坂間成喜に対して出発点呼終了の認印を押す段階で確認書を示して「全行程を乗務する意思があるか。あったらこの確認書にサインして欲しい。」と言ったところ、坂間成喜やその場にいた他の乗務員が口々に「それはおかしい。勝浦はスト拠点になっていない。乗務するために点呼を受けているのではないか。」と抗議しているのを目撃し、組合員とともに、管理者らを確認書の目的や木原線あるいは千葉駅に乗り入れない乗務員に対する対応について追及するなどした。なお、当局は、外周三区の組合員である乗務員からはすべて確認書を提出させる方針であったが、同日午前七時ごろ、勝浦と木原線の大原〜上総中野間だけを乗務行路とする組合員である乗務員からは確認書の提出を求めないことに変更した。

〔館山支部長〕(正式の名称は「館山支部執行委員長」であるが、通称に従って「館山支部長」という。以下、同じ。)〔である原告笹生〕は、構内入れ替え作業の構内運転を担当しており、同日は前日からの徹夜勤務明けで、午前八時一〇分までが勤務時間であり、館山同七時〇五分発東京行の特急さざなみ二号を電留線から駅ホームに移動させて据え付ける作業をする予定であった。しかし、当局が右特急を運休にしたため、右作業が不要になり、勤務終了時の同八時一〇分まで館山運転区の外勤詰所にいた。原告笹生は、勤務終了後ホームの方に行ったところ、いずれも組合員で、館山駅を列車番号一二四Mで同四時四七分に千葉駅に向けて出発し同駅から列車番号三Mで折り返し同九時三四分三〇秒に館山駅に戻る一仕業で乗務することになっていた三瓶悦男、同駅を列車番号七二一Mで同五時一三分に安房鴨川駅に向けて出発し同駅で列車番号一四八Mとなって折り返し同七時〇二分に館山駅に戻り、更に同駅を列車番号一五六Mで同八時二〇分に千葉駅に向けて出発し同駅から列車番号一五五Mで折り返し同日午後一時五八分三〇秒に館山駅に戻る二仕業で乗務することになっていた加藤幸男及び同駅を列車番号一二八Mで同日午前五時一〇分に千葉駅に向けて出発し同駅から列車番号一三九Mで折り返し同一〇時〇八分に館山駅に戻る三仕業で乗務することになっていた都﨑恒夫がそれぞれ確認書への署名押印を拒否して同運転区の管理者らから否認の通告を受けながらそれを無視して乗務予定の電車に乗り運転台で信号の開通を待ち続けていることを知り、同区長に会い、「今まで持ち出したこともない確認書を要求して電車を止め、そのために乗務員が電車の中に留めおかれるのはかわいそうじゃないか。不当な拘束にもなるから止めてくれ。」と抗議した。

結局、〔外周三区の組合員である乗務員は、全員が確認書の提出を拒絶した〕ので、千葉局は、それを否認扱いにしている。

オ 動労千葉は、各支部長宛ての指令第一六号をもって、本部は本件第二波ストライキ貫徹の状況とストライキを巡る情勢の推移等から、右ストライキの所期の目的は達成されたと判断し、さらには受験生の帰宅の足を確保するという立場も含め、同日午後五時三〇分をもって右ストライキを集約することを決定した旨の指令を発した。

カ 成田支部では、西森、森内及び原告髙柴が同六時〇二分前記支区長室に入り、西森が支区長らに対して口頭で本部指令で同五時三〇分をもってストライキを中止する、すべての乗務員を復帰させる旨を通告した。

(五)  本件第二波ストライキの影響

<書証番号略>及び証人石井健治の証言を総合すると、次の事実を認めることができる。

本件第二波ストライキにより、千葉局管内では次のとおり多数の列車の運行に影響を生じ、国鉄側のまとめによると正午時点で乗客四〇万人の足が乱れたとされている。

(運休したもの)

総武快速線

一六九本(特急六八本・快速一〇一本)

総武緩行線

一〇一本(普通一〇一本)

総武本線 四八本(特急一四本・快速二本・普通三二本)

内房線 一〇五本(特急二〇本・快速一八本・普通六七本)

外房線 八〇本(特急二〇本・快速一四本・普通四六本)

成田線 一二五本(特急一四本・快速二八本・普通八三本)

鹿島線 三〇本(普通三〇本)

東金線 一二本(普通一二本)

(遅延したもの)

総武快速線

五九本(最高三九分、合計八九二分)

総武緩行線

八六本(最高一九分、合計二九三分)

総武本線 一五本(最高二七九分、合計一二四〇分)

内房線

六本(最高二五分、合計一三〇分)

外房線

一四本(最高六三分、合計二一九分)

成田線

六本(最高二一八分、合計三二四分)

東金線

三本(最高一二分、合計二三分)

木原線

一一本(最高九分、合計六〇分)

久留里線

一〇本(最高九分、合計五一分)

なお、運休したものの中には、回送列車七五本、貨物列車三本も含まれているが、その他はすべて旅客列車である。また、総武快速線と千葉駅以東相互直通列車については、総武快速・緩行線の本数計上の基準を錦糸町駅に、総武本線、内・外房線、成田線のそれを千葉駅にそれぞれ置いているため、重複した計上になる。また、鹿島線のそれは佐原駅、東金線のそれは大網駅、木原線のそれは大原駅、久留里線のそれは木更津駅である。

翌一六日の読売新聞は、本件争議行為に対する利用者の怒りとあきらめの声を掲載するとともに「千葉動労『孤立スト』いつまで」「組合運動の枠を逸脱 利用者の支持ムリ」の記事を載せ、産経新聞は、「またまた暴挙 千葉動労」「乗客はイライラ…あきらめ…怒り」を報じて、本件争議行為を批判ないし非難している。

3  原告らの公労法一七条違反と同法一八条による解雇通知

(一)  以上の事実によれば、本件争議行為は、国鉄分割民営化及びそれにかかる諸施設等に反対するため、第一波ストライキの継続として行われたものであるとみるべきである。そして、昭男及び原告大畑は、そのような本件争議行為なかんずく本件第二波ストライキの企画に参画してこれを共謀したばかりでなく、右ストライキの拠点支部の執行部の幹部として右ストライキの実施に向けて及び右ストライキの場において支部組合員らに対してこれを指導しあるいはこれに参加させるなどして唆しかつあおったものであり、原告髙柴は、本件争議行為なかんずく右ストライキを共謀したか少なくとも右ストライキの拠点支部の執行部の幹部として右ストライキの実施に向けて及び右ストライキの場において支部組合員らに対してこれを指導しあるいはこれに参加させるなどして唆しかつあおったものである。また、原告加納は、右ストライキの拠点支部の教宣担当の執行委員として右ストライキの実施に向けて支部組合員らに対してこれをあおったか(同支部の機関紙である「週刊火火」がしばしば本件第二波ストライキの実施を扇動する記事を掲載していたことは前記のとおりであり、原告加納が同支部の教宣担当の執行委員としてなにがしかの関与をしていることは認められるが、その程度については必ずしも明らかでない。)少なくとも右ストライキの場において国鉄業務の運営を阻害する行為をしたものであり、原告岩井は、右ストライキの実施に向けて及び右ストライキの場において主として同支部青年部員に対してこれを指導しあるいはこれに参加させるなどしてあおったものである。さらに、原告西本、同鶴岡及び同笹生は、いずれも右ストライキの企画に参画してこれを共謀したばかりでなく、ストライキという異常な事態が生じた場合において、使用者がどのような形でストライキを実施している組合に所属する労働者から労務の提供を受けるかについては、使用者が状況に応じて適切な方法を選択することができると解されるところ、それぞれの所属支部は右ストライキそのものの拠点支部にならなかったとはいえ、本部の指示を受けて(動労千葉本部は、千葉局からの通告により事前に外周三区の組合員である乗務員らに対して書面による就労意思の確認が行われることを知っており、しかも本部執行委員の片岡を銚子支部に出向かせて指導に当たらせている。)当局が右ストライキの影響を最小限度に防止しようとして行った外周三区の組合員である乗務員の就労意思の確認を妨害して国鉄業務の運営を阻害する行為をしたものである。

(二)  次の角括弧内の事実については当事者間に争いがなく、<書証番号略>によれば次の角括弧外の事実を認めることができる。

〔国鉄は、〕原告らの前記各行為をいずれも公労法一七条一項に該当するとして、〔原告らに対し、いずれも同法一八条により〕昭和六一年三月二三日付けをもって〔解雇する旨の通知をした。〕

三国鉄の原告らに対する公労法一八条による解雇の効力の有無について

1  公労法一七、一八条の違憲性の有無について

原告らは、争議行為を一律全面的に禁止する公労法一七条及びこれを受けた同法一八条は憲法二八条に違反して無効である旨主張する。

しかしながら、公共企業体等の職員について争議行為を禁止した公労法一七条一項の規定が憲法二八条に違反するものでないことは確立した判例であり(最高裁判所昭和四四年(あ)第二五七一号同五二年五月四日大法廷判決・刑集三一巻三号一八二頁など)、公労法一七条一項の禁止を実効あるものとするために違反行為をした職員の解雇を定める同法一八条も、その法意を、解雇するかどうか、その他どのような措置をするかは、職員のした違反行為の態様・程度に応じ、公共企業体等の合理的な裁量に委ねる趣旨であると解する限りは、憲法二八条に違反するものではないというべきである(最高裁判所同三八年(オ)第一〇九八号同四三年一二月二四日第三小法廷判決・民集二二巻一三号三〇五〇頁参照)。

したがって、原告らの右公労法一七・一八条の違憲性の主張は理由がない。

2  公労法一七条一項及び一八条の適用違憲について

(一)  原告らは、争議行為の制限は合理性の認められる必要最低限のものにとどめられるべきであることから、一定のやむを得ない場合であるなどの条件を充足して初めてなし得るものであるところ、本件争議行為ではこれらの条件を欠いている旨主張するが、同法一七条一項は、公共企業体の職員による争議行為を一律に禁止しているのであって、同条項の適用において公共企業体の職員に禁止されていない争議行為があることを前提とする主張は、その前提を欠くから、理由がない。

(二)  原告らは、代償措置が講じられていること及び公労法一七条一項違反に対する効果が最小限であることの条件が満たされない同法一八条による処分はその限りにおいて違憲、無効である旨主張するが、同法一八条の法意が、解雇するかどうか、その他どのような措置をするかは、職員のした違反行為の態様・程度に応じ、国鉄の合理的な裁量に委ねる趣旨であると解すべきことは右に判示したとおりであり、動労千葉及び原告らの行為が同法一七条一項の規定する禁止行為にまともに違反するものであること、雇用安定協約の締結について合意が得られないことを代償措置の機能不全ということができないことは次に判示するとおりであり、本件ストライキ実施の前段階において国鉄が団体交渉事項である限り団体交渉に応じたことは前項において判示したとおりであるから、原告らの右本件争議行為に対する公労法一八条適用の違憲・無効の主張は、失当であるといわなければならない。

3  本件争議行為に対する公労法一七条の適用除外の当否について

原告らは、本件争議行為に対しては公労法一七条の適用が排除されるべきである旨主張する。

職員ないし組合の行為が一見すると公共企業体等の業務の正常な運営を阻害するかのような場合であっても、その行為が行われた事情の下ではその行為をもって直ちに同条に違反すると断ずることが酷に失する場合のあることを否定することはできないが、前項において判示した事情の下では、動労千葉及び原告らの行為が同条一項の規定する禁止行為にまともに違反するものであると判断することにちゅうちょを覚えるようなものは何もなく、その行為をもって同条項に違反すると断ずることが酷に失する場合に当たるということができないことは明らかである。また、同条項による争議権の禁止に代わる相応の措置としては、身分保障、給与の保障、公共企業体等労働委員会の設置等が講じられているのであって、雇用安定協約の締結という具体的な労使間の問題の解決について公共企業体等との合意が得られないことを代償措置の機能不全であるということはできない。さらに、国鉄の分割・民営化粉砕をスローガンの一つとして本件争議行為を実施した原告らが、争議権の制約のない「民間会社への移行過程にある国鉄」については同法の適用基盤がもはや崩壊していたとか、本件争議行為当時の国鉄を巡る情勢下では同条の適用の除外が予定ないし予測されるという事実がその具体的適用の消極的要素になるとか主張することは、論理矛盾であるというべきであるが、その点を措くとしても、本件争議行為の時点では国鉄改革ないしその関連法案が国会にすら提出されていなかった(このことは、<書証番号略>によって認めることができる。)のであるから、公労法一七条一項の適用基盤が崩壊しているとか、同条の適用の除外が確定的に予定ないし予測されるとかとはいえない道理である。

こうして、原告らの本件争議行為に対する同条項の適用除外の主張は、理由がないといわなければならない。

4  解雇権の濫用の有無について

(一)  解雇権の濫用の意義について

国鉄職員が公労法一七条一項に違反する行為をした場合には、日本国有鉄道法三二条一項、三五条、三一条一項一号に該当するものとして同条により懲戒処分をすることも可能であり、公労法一八条に解雇という職員にとって最も重い処分を選択することについては慎重でなければならないことはいうまでもないが、右に判示した同条の法意に則るときは、同条による解雇が妥当性・合理性を欠き、国鉄総裁に認められた合理的な裁量権の範囲を著しく逸脱したものでない限り、その効力を否定することはできないというべきである。

(二)  昭男、原告大畑及び髙柴について

(1) 原告大須賀シヅ子、同大須賀里江、同大須賀美香、同大須賀健吾、同大畑及同髙柴は、国鉄の民営化が「不可避」(ただし、被告の主張の趣旨による。)であった本件争議行為及び処分当時の情勢において、いずれ合法となる行為について従来の例をはるかに逸脱して異常な解雇基準をあえて創設し、その適用を強行したことには一片の正当性も合理性も認められないから、国鉄の明男、原告大畑及び同髙柴に対する本件解雇処分はいずれも裁量権を濫用したものであって無効である旨主張する。

(2) しかしながら、右主張のうち従来の例との対比の点については、従来の例との均衡が本件解雇の公平性を担保するという趣旨では重要な意味をもつということができるが、従来の例と対比する場合には、単に争議行為の目的、規模、態様等を対比するだけでは足りず、国鉄労使を取り巻く社会的環境等をも対比して従来の例との均衡をみなければならないところ、右原告らが本件解雇を従来の例をはるかに逸脱して一片の正当性も合理性も認められないとする論拠として国鉄の民営化が不可避(ただし、被告の主張の趣旨による。)であった本件争議行為及び処分時の情勢においていずれ合法となる行為であることを挙げることは、原告らが国鉄の分割・民営化粉砕をスローガンの一つとして本件争議行為を実施したことにかんがみると、いささか厚かましいものであるばかりでなく、従来の例との対比において国鉄労使を取り巻く社会的環境等を真しに検討していないことを示すものである。

(3) 前項で確定した事実によれば、本件争議行為は、国鉄の千葉局における検修合理化、業務移管等の施策に反対するためだけに行われたものではなく、危機的状況にあった国鉄の経営のより抜本的な再建策を検討することを目的として法律(日本国有鉄道の経営する事業の再建の推進に関する臨時措置法)に基づいて設置された再建監理委員会が二年余にわたり審議を重ねて最終答申を提出し、国鉄は当然のこと政府等も右答申を尊重して国鉄の抜本的再建に乗り出そうとした時期において、そのような国鉄が置かれている状況を全く分別しないどころか、かえって最終答申を国鉄労働運動を解体するものであるなどとして反発し、職員らに雇用不安があったことは理解できるにしても、到底団体交渉事項になり得ない「国鉄分割民営化阻止」やそれに付随する「一〇万人首切り合理化粉砕」「国鉄労働運動解体攻撃粉砕」などをメインスローガンの一つとして実施された第一波ストライキに続く第二波闘争であって、本件争議行為の目的において強調された検修合理化、業務移管反対等にしても、職員の労働条件に関連するものであることを否定することはできないものの、同時に国鉄の管理及び運営に関する事項(公労法八条ただし書参照)であるともいえるものであり、したがって、本件争議行為は、動労千葉が自己の右のような主張を貫徹するためにのみ行われたもので、そのような意味で政治的色彩が鮮明なものであるといわざるを得ないものであった。しかも、本件争議行為は、第一波ストライキが、これを支援すると称する一部過激派の同時多発ゲリラによって自己の職場である国鉄施設が破壊され市民の足が大混乱に陥っているのを知りながら、無謀にも二四時間を打ち抜き、世論などの厳しい非難、批判を浴びたにもかかわらず、そのような世論等に背を向け、また国鉄当局の再三にわたる警告を一顧だにせずにスケジュールどおりに敢行されたものであり、かてて加えて、鉄道輸送が極度に高い公共性を有することをわきまえず、業務を管理する国鉄当局に対してストライキの内容、規模、方法等を秘匿して国鉄当局をしてその対応策を講ずることを困難にさせ、結局千葉局管内全域に及ぶ業務の正常な運営を著しく阻害したものである。これらの事情を勘案すると、本件争議行為は、午後五時三〇分にストライキを集約したことをしんしゃくしても、第一波ストライキに劣らず違法性の極めて強いものであるといわなければならない。

(4) そうだとすると、前項に判示した昭男、原告大畑及び同髙柴が本件第二波ストライキに関して果たした役割及び地位や右ストライキ時における行動を考慮すると、その責任は重大であるといわなければならない。

それと合わせて、<書証番号略>並びに原告大畑及び同髙柴各本人尋問の結果を総合すると、動労千葉が昭和五六年に成田支部を拠点として数日にわたり実施したストライキの一連の闘争について責任を問われ、昭男は一二か月一〇分の一の、原告大畑は三か月一〇分の一の、原告髙柴は四か月一〇分の一の各減給処分を受けたことを認めることができ、昭男、原告大畑及び同髙柴が更に前項で判示したような行為を繰り返したことは、国鉄職員としての自覚と責任の欠如を示すものであるとみられてもやむを得ないというべきである。

(5)  こうして、国鉄総裁の昭男、原告大畑及び同髙柴に対する公労法一八条による解雇処分が、本件争議行為の違法性の程度や昭男、原告大畑及び同髙柴の本件争議行為に関して果たした役割、本件第二波ストライキ時における行動を中心にし、過去における処分歴をも考慮の対象としてそれらとの対比において見るときは、著しく均衡に失し、社会通念に照らして合理性を欠くとはいい難いから、国鉄総裁に認められている裁量の範囲内においてなされたものというべく、したがって、右原告らの右解雇権濫用の主張は、失当であるといわなけれならない。

(6) 以上のとおりであるから、原告大須賀シヅ子、同大須賀里江、同大須賀美香、同大須賀健吾、同大畑及同髙柴の本訴各請求は、その余の点を判断するまでもなく、いずれも理由がない。

(三)  原告加納、同岩井、同西本、同鶴岡及び同笹生について

(1)  それに対し、その余の原告らすなわち原告加納、同岩井、同西本、同鶴岡及び同笹生に対する本件解雇は、解雇権を濫用したものであるというべきである。

(2)  本件ストライキの違法性の程度については、本項(一)(3)に判示したとおりであって、極めて高いものであるといわざるを得ないが、しかし、前項で確定した事実によれば、その責任の大部分は、他の打開策を十分に検討もせず、多分に時代錯誤的な発想をもってただひたすら第一波ストライキ及びそれを継続する本件争議行為の設定・実施を指導した動労千葉の幹部が負うべきであって、最終答申がそのまま法律化され実施されることになれば、たとえそれが国鉄再建へのひっすの方策であったとしても、国鉄職員のほぼ三人に一人が何らかの形で職場を去らなければならなくなり、特に余剰人員調整策への協力の程度を理由に雇用安定協約の締結を当局から拒まれるといった事態に陥っていた動労千葉に所属する組合員としては、近い将来において職場を失う等、生活基盤が根本から覆されるというおそれを抱いたとしても無理からぬものがあったというべく、職場を去ることになるかもしれないという事態は、労働者にとってはいわゆる賃金闘争以上に差し迫った問題であるから、本件争議行為に高度の違法性があるといっても、いわゆるスト権スト(国労、動労等で構成されている公共企業体等労働組合協議会が昭和五〇年秋に八日間連続のスト権回復を目ざすストライキを行ったことは、公知の事実である。)などとはその意味合いが大きく異なるのであって、そうだとすれば、第一波ストライキ及びこれを継続する本件争議行為設定ないし実施の指導にかかわらなかったか、若干の部分にかかわったとしてもその根幹的な部分にかかわったとはいえず、どちらかといえば右の幹部の指導に従い危機感を募らせて本件第二波ストライキを含む本件争議行為に参加した組合員にまで右の幹部と同様の責任を負わせることは酷に過ぎ、右の幹部の指導のままにないし指導を重んじて本件ストライキに参加した組合員に対する公労法一八条による解雇は、妥当性・合理性を欠き、国鉄総裁に認められた合理的な裁量権の範囲を著しく逸脱したものとして無効であるというべきである。

(3) この観点に立って、次に原告加納、同岩井、同西本、同鶴岡及び同笹生の本件争議行為への関与の態様等を検討すると、次のとおりである。

原告加納は、前項で判示したとおり本件第二波ストライキ当時拠点支部である成田支部の教宣担当の執行委員であり、右ストライキにおいて予備勤務者としての労務の提供を拒否したことになるものの、右労務の提供の拒否についていえば、当直助役による労務提供意思の確認が通常の方式と異なっていたことからすると、必ずしも積極的・計画的にされたものではないとみるべきである。そして、<書証番号略>並びに原告大畑及び同加納各本人尋問の結果によれば、原告加納は、本件解雇前には国鉄当局からの懲戒処分を受けたことがなく、他方、千葉局長から昭和五〇年一二月一六日、同五四年一月九日及び同五七年一月三一日の三回にわたり「動力車乗務員一〇万キロ無事故記録証」を授与され、同五五年三月一八日には、同年二月二三日に「成田線新木駅構内において線路上に人影を発見するや直ちに緊急停止手配をとり人身事故を未然に防止した」ことについて、「普段の修練と旺盛な責任感のあらわれ」であるとして表彰され、さらに区長からも数回にわたり異線現示、信号故障の発見など安全保安上の注意を尽くしたことについて表彰を受けていることを認めることができる。

原告岩井は、本件第二波ストライキ当時その拠点の一つであった成田支部青年部長であり、右ストライキの前日及び当日に右ストライキの実施に向けて及び右ストライキの場において主として同支部青年部員に対してこれを指導しあるいはこれに参加させるなどしてあおったものであって、その責任は決して軽いものとはいえない。しかしながら、<書証番号略>並びに原告大畑及び同岩井各本人尋問の結果によれば、原告岩井が同青年部長になったのは右ストライキのわずか一週間前であり、それまでに動労千葉の本部及び同支部など組合の役員歴もないことを認めることができ、右事実からすると、原告岩井の同支部の右ストライキの実施に向けての及び右ストライキの場における指導等による影響は、比較的軽微であったと考えられる。加えて、右各証拠によれば、原告岩井には本件解雇前に処分歴がなく、また、千葉局長から昭和五九年五月三一日に「動力車乗務員一〇万キロ無事故記録証」をもらい、成田運輸長から同五八年八月二日及び同六〇年四月一日に異線現示などにより賞を授かり、その他人身事故の処理について表彰を受けている。

原告西本、同鶴岡及び同笹生取り分け原告西本及び鶴岡には問題がないわけではない。前項で判示したとおり、本件争議行為当時原告西本は銚子支部長の、原告鶴岡は勝浦支部長の、原告笹生は館山支部長の各地位にあって、原告西本は第一〇回定期大会で議長団の一人に選出された上議長団を代表してあいさつをし、第三回定期大会及び第五ないし第七回支部代表者会議に出席するなどして、原告鶴岡及び同笹生は右定期大会及び各支部代表者会議に出席するなどして本件争議行為の設定・実施を共謀したばかりでなく、動労千葉本部の指導を受けて当局が行った外周三区の組合員である乗務員の就労意思の確認を妨害して国鉄業務の運営を阻害する行為をしている。しかも証人今村雅弘の証言及び原告西本本人尋問の結果によれば、原告西本は、第一波ストライキの関係で停職三か月の処分の通知を受けている(ただし、右処分の発令前に本件解雇処分を受けた。)ことを、<書証番号略>、証人今村雅弘の証言及び原告鶴岡本人尋問の結果によれば、原告鶴岡は、過去に二回の三〇分の一の減給や戒告の処分を受けたことがあるほか、第一波ストライキの関係で停職三か月の処分の通知を受けている(ただし、右処分の発令前に本件解雇処分を受けた。)ことをそれぞれ認めることができる。したがって、原告西本、同鶴岡及び同笹生は、本件争議行為において銚子、勝浦及び館山の各支部の最高幹部としてそれぞれそれに相応する指導的な役割を担い、原告西本及び同鶴岡は、ともに第一波ストライキについてもそれなりの役割を担っていたということができ、原告西本、同鶴岡及び笹生なかんずく原告西本及び同鶴岡の責任はかなり重いものがあるといわなければならない。しかしながら、右各支部は本件第二波ストライキそのものの拠点支部でないから右ストライキそのものに関してはその影響力は間接的にしか及ばず、微弱なものであったというべきであり、外周三区の組合員である乗務員の確認書提出拒否を巡る指導的な関与にしても、確認書の提出が従来の乗務意思の確認では行われたことのない方式であって、かつ、その趣旨が必ずしも周知徹底されたものではなかったことや、確認書の文面に「組合の指令に従うことなく」という―その文言が入れられた趣旨は分からなくはないとしても―乗務意思を明確にするためだけであれば不必要な、いずれにしても妥当性を欠き組合員である乗務員にとって受け入れ難く感じる文言があったこと、原告西本、同鶴岡及び同笹生の右指導的関与が計画的意図に出たものではなく多分に偶発的なものであったこと等を考慮すると、右指導的な関与をしたこと、その結果外周三区の列車の運行が阻害されないし混乱したことについて原告西本、同鶴岡及び笹生を一方的に責めることはできない面があるというべきである(更に、<書証番号略>及び原告笹生本人尋問の結果によれば、原告笹生には処分歴がない上二度にわたり事故時における乗客救出により当局から表彰を受けていることを認めることができる。)から、原告西本、同鶴岡及び同笹生の右の程度の行為に対するのに退職手当が支給されず(国家公務員等退職手当法八条一項三号、国家公務員法九八条三項参照)、退職年金等の支給も全部又は一部制限されることがあり得る(公共企業体職員等共済組合法二〇条参照)公労法一八条による解雇をもってすることは、やはり国鉄総裁に認められた合理的な裁量権の範囲を著しく逸脱したものであるといわざるを得ない。

四原告加納、同岩井、同西本、同鶴岡及び同笹生の各賃金請求について、

1  賃金額等について

弁論の全趣旨によれば、原告加納、同岩井、同西本、同鶴岡及び同笹生の昭和六一年三月当時及びそれ以降に受領すべき基準内賃金は、別紙1の「原告名」欄の右原告らの「基準内賃金(円)」欄の当該各項に掲げる賃金額であることを認めることができ、国鉄及び被告の賃金の支払日が毎月二〇日であること、国鉄及び被告が同年四月以降右原告らに対して賃金を支払わなかったことについては、当事者間に争いがない。

2  将来の給付の訴えについて

なお、右原告らは、被告に対し、昭和六一年三月以降毎月二〇日に別紙1の「原告名」欄の右原告らの「基準内賃金(円)」欄の当該各項に掲げる賃金の支払を請求し、それは本件口頭弁論が終結した日の翌日である平成四年三月一七日以後の賃金の支払をも包含しているものと解されるが、その部分は将来の給付を求める訴えであるから、予めその請求をする必要があること(被告が雇用契約の存在を確認する判決の確定後も右原告らの労務の提供を拒否してその賃金請求権の存在を争うことが予想されるなどの事情)について主張・立証を要するところ、右原告らはその点について何らの主張・立証もしない。したがって、右原告らの賃金請求のうち同日以後の分にかかる各訴えは不適法であるといわなければならない。

3  国鉄が昭和六一年三月二〇日に右原告らに対してそれぞれ同月分の賃金を支払ったことについては、右原告らにおいていずれも明らかに争わないから、これを自白したものとみなす。

五結論

よって、原告らの本訴各請求のうち、原告加納、同岩井、同西本、同鶴岡及び同笹生が被告との間にそれぞれ雇用契約が存在することの確認を求め、昭和六一年四月一日から平成四年三月一六日までの各賃金の支払を求める部分はいずれも理由があるからこれを認容し、その余の各請求中同月一七日からの賃金の支払を求める部分の各訴えはいずれも不適法であるからこれを却下し、その余の各部分はいずれも理由がないからこれを棄却し、その余の原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用中、原告加納、同岩井、同西本、同鶴岡及び同笹生と被告との間に生じたものについては民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、その余の原告らと被告との間に生じたものについては同法八九条、九三条をそれぞれ適用し、原告加納、同岩井、同西本、同鶴岡及び同笹生の仮執行の宣言の申立てについては、右認容賃金額の三分の一の限度で相当であると認めて同法一九六条を適用し(、その余については相当でないからこれを却下し)、主文のとおり判決する。

(裁判官本吉弘行 裁判長裁判官並木茂及び裁判官春日通良は、ともに転補のため署名・押印することができない。裁判官本吉弘行)

別紙1

原告名

就職年月日

所属

職種

号俸

基準内

賃金(円)

大須賀昭男

昭和37年12月

千葉運転区成田支区

機関士兼電車運転士

10-71

288,300

大畑勤

昭和37年11月

車両検査係

9-71

267,500

髙柴康

昭和37年8月

電車運転士

9-77

275,000

加納昭

昭和43年3月

9-58

285,812

岩井曻一

昭和52年4月

9-54

216,224

西本泰通

昭和43年2月

銚子運転区

電車運転士兼気動車運転士

9-54

238,800

鶴岡直芳

昭和32年3月

勝浦運転区

電車運転士兼車両検査係

10-87

299,800

笹生亘

昭和35年12月

館山運転区

電車運転士

10-82

305,464

別紙2、3<省略>

別表<省略>

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